不安を手放したら仕事が楽になったホントの話 

「仕事に追われて身を磨り減らしていた日々」

大学卒業後に入社したメーカーから今の会社に転職して二十年近く、私は人事コンサルタントとして働いています。
そして数年前までは、常に仕事に追われ一日も気を休めることなく過ごしていました。

毎朝五時半に起きて子供のお弁当を作り、八時に出社して仕事を始め、夕方は五時に退社して八時に子供が寝た後、深夜まで自宅で仕事をするという働き方を続けてきました。
週末には「月曜に何が起こるかわからない」と前倒して仕事をし、休暇中でさえ「急な仕事がないか」「不測の事態が起きていないか」と仕事を始める始末でした。

当時の私は自分が不安に煽られて働いていることにも気づいていませんでした。

では私は何をそんなに怖れていたのでしょうか。

通常コンサルティングは、二、三ヶ月の契約で進みますが、それに加えてやってくる営業からの提案依頼が「急な仕事」「不測の事態」であり私の不安の一因でした。
私達には、数千人の営業からいつどんな案件を頼まれるかは予測ができません。かつ営業にしてみれば自分のお客様が一番なので、こちらの忙しさに構わず「すぐに客先に行って提案書を作って下さい」となるのです。

私はいつ来るかわからない提案依頼が不安で、何が起きてもお客様に迷惑をかけないようにと休みなく働いていました。

 

「不安をガソリンにがんばりぬく」


当時の私は様々な不安を抱え、それをガソリンに走り続けていたのです。

「今週は最終報告で手一杯なのに提案を頼まれたらできるだろうか」「提案のために報告資料が疎かになったら困る」といった、複数の仕事を上手くマネージできないのではないかという不安。

「いい資料ができずにお客様に失望されたら嫌だ」「その噂が社内に広まり仕事ができないとレッテルを貼られたら困る」といった、コンサルタントとしての存在意義が揺らぐことへの不安。

「次の契約が取れなかったら目標を達成できない」といった、将来への不安など。

複数プロジェクトを同時に進めながら提案活動をするという自転車操業のような働き方をしながら、常に不安に追われて身をすり減らしていました。

 

「十二歳の挫折」

ある時、この不安はどこから来たのかと考えました。
すると中学生の頃から不安を抱えて全力疾走してきた自分に気づいたのです。

私にとって人生最大の挫折は中学受験に失敗したことでした。
その頃から「二度と失敗したくない」という不安が自分の中で雪だるま式に膨れ上がり、でもそれを隠してひた走ってきたのです。

我が家では兄も従兄姉達も中学から私立に通っており、私は私立中学に進学するのが当たり前と育てられました。
しかし受験の直前に私は入院してしまい受験に失敗しました。
両親はそれで私を責めることは一度もなかったのですが、両親の期待に沿えなかったことが私には大きな痛手でした。

公立中学に進んだ私は「二度と受験で失敗したくない」と、がむしゃらに勉強をしました。
今思うと不安が私を勉強にかき立て、手を抜くことができなかったのです。
例えばテスト前には教科書を端から端まで復習しないと気がすみませんでした。
時間もかかり消耗し、初めての中間テスト前には緊張のあまり蕁麻疹が出たこともありました。

その後、努力の甲斐あって希望する高校、大学に入り、私は自分の道を自分の足で歩んできたはずでした。
しかし中学時代の「失敗しないように手を抜かずに精一杯努力しなければならない」という思いだけはずっと手放せずにいたのです。

「仕事の不安を手放す」

コンサルタントになり数年が経ち、出張や深夜のタクシー帰りという過労がたたり、メニエールを発症しました。
そしてその後も忙しくなると体調を崩し、通院しながら騙し騙し仕事をしてきました。

しかし感情カウンセリングを学ぶ中で、私はものすごい不安を隠して全力で走り続けて来たことに気づき、感情に向き合おうと決心したのです。

まず「帰宅後は新しい仕事に手をつけない」「週末に仕事をしない」というルールを自分に課しました。

当時は、子供の就寝後に深夜まで仕事をするのが日課でしたが、夜は簡単な残作業だけにしました。また土日に翌週の仕事に手をつけることもやめました。

しかし十数年間の習慣を手放すのは至難の業でした。
かつその行動の裏には中学時代から溜め込んできた不安が積もりに積もっていたのです。
初めの頃は「今日はここまで」と決めて布団に入っても気になって、また起きて仕事に取りかかるということも幾度となくありました。

働き方を変えると共に不安も感じ続けました。
「月曜に新しい提案を頼まれるのが心配」
「それで今週の資料が疎かになるかもしれない」
「中途半端な資料を出して、お客様に仕事ができないと思われたら嫌だ」
「その評判が社内に広まり仕事を任されなくなったら困る」
出てくる不安を一つ一つ感じていきました。


不安に向き合いながら行動を変えると、小さな成功体験が積み重なり、次第に思考パターンも変わってきました。

「月曜に提案を頼まれても水曜までならできますと言えばいい。それでとれない案件は縁がなかったんだ」
「今週の資料がいまいちでも来週リベンジすればいい」
「今のお客様にダメ出しされても別のお客様ならうまくいくかもしれない」
「一回位失敗しても社内で見捨てられない。どうしても駄目なら転職もある」

以前は、成功か失敗か、100点か0点かで全てをジャッジしていましたが、一度赤点を取っても次に及第点を目指せばいいと思えるようになりました。


当時の私の考え方はまさに一回で合否が決まる「受験」そのもので、その不安に囚われていたのです。
さらに中学受験後に自ら切り開いてきた人生の素晴らしさも十分に受け取りきれていませんでした。

 

「不安をガソリンに走り続けてきた自分への気づき」

感情に向き合うようになると、私は不安をガソリンに自らを鼓舞し無理に走り続けてきたことに気づきました。

当時の私は「がんばることが美徳」「がんばればその成果が得られる」「辛いことを乗り越えてこそ人生」と信じてがむしゃらに努力し、蕁麻疹やメニエールという体のアラートにも耳を傾けずに突き進んでいたのです。

もし不安という不毛なガソリンを燃料に走っていることに気づいていたら、もっと早くにもっと楽な人生を送れていたかもしれません。
しかしこれまでの経験があるからこそ感情カウンセリングに出会い、こうして自己成長に取り組んでこられたのだとも思います。

 

「信頼ベースで働く」

自分が不安ベースで全てに取り組んできたことに気づくと「もっと肩の力を抜いていい」と思えるようになりました。

一度失敗しても契約は打ち切られないし、今週お客様の期待にそえなくても来週取り戻せば築いてきた信頼関係は揺るがないのです。
難しい案件が来たら、一人で背負い込まずにその専門性を持つメンバーを巻き込んで共に解決すればいいとも考えられるようになりました。


一度のテストで合否が決まり敗者復活戦はない、全ての責任は自分一人で負わなければいけないという極端な考えに凝り固まって、私は仕事だけでなくあらゆることに立ち向かってきたのです。

 

「仕事が楽になる」

不安を認めて感じながら働き方を変え始めて数ヶ月すると、深夜や休日に働かなくても大丈夫という実感が持てるようになりました。
また案件の受注確度に応じた力のかけ具合もわかるようになりました。
すると過度な労力をかけて不要な資料を作ることもなくなり、仕事の無駄も減り、本来やるべき仕事に割く時間を捻出できるようになりました。

また自分を信じて対応すると、お客様、営業、メンバーとも楽に信頼関係を築けるようになりました。
たった一、二回の訪問で「わが社や自分達のやりたいことをよくわかってくれているあなたに、ぜひこの仕事をお願いしたい」と言ってもらえることも増えました。

自分の感情から目をそらさずに向き合うことで、結果として様々なことがうまく運ぶようになりました。
仕事、子育て、家族関係の中では、その変化はまず仕事において顕著に現れたのです。

 

まとめ

私は中学受験で受けた心の傷(インナーチャイルド)を何十年も引きずってきました。常に不安に煽られながら、その感情と向き合わずに行動するというパターンを身に着けてしまっていたのです。

しかし、長らく無視してきた不安を丁寧に感じるようにし、信頼ベースで行動すると、こんなにも早く現実世界が変わるということを実感しています。副次的には蕁麻疹もメニエールもほぼ治りました。

私のクライアントさんにも「早く帰りたいのに毎日残業してしまう」という方がいます。
「周囲が遅くまで働いている中で自分だけ早く帰ったらどう思われるか」「早く帰って営業目標が達成できなかったらどうしよう」など、自分の感情のわだかまりに向き合えずに行動を変えられないでいたのです。

自分の行動を変えたいと思った時には、そこにどんな感情が絡んでいるのか、その感情は自分の人生のどの時点からのものなのかを紐解いてみてはどうでしょうか。
きっと課題解決の糸口が見えてくるはずです。

上に戻る