「小さな自分」の中から出てきた、父親より「大きな自分」
前回、父親との関係が改善されてきた、という話を書きました。
その改善によって、父親への否定が減り、その後、自分への否定も減ってきた様に感じています。
その影響か、はたまた夏の開放感の影響か、自分の内面にも変化が起きてきました。
今回は、そのことについて書いてみたいと思います。
この記事の目次
過去のビクビクしていた自分のあぶり出し
7月に入った頃のことでした。
なぜか自分をオープンにすることが怖くなって、(無意識に)感情や感覚を閉じる様になりました。
ちょっとした刺激が怖くて、どこか身体に力が入っていて、無感覚になっていました。
人も怖くて、特に怒りを持っている人が怖くて、ビクビクしている様な状態でした。
これは、以前の自分には良くあったことでした。
父親がせっかちで怒りっぽかったので、心の傷(インナーチャイルド)になっていたのでした。
しかし、最近ではあまり出なくなっていたので、何が起こっているんだろう?と思っていました。
それに対して、感情のクリアリングはしていたのですが、なかなか状態を変えるまでには至りませんでした。
そんな中、北アルプスに縦走登山に行きました。
新型コロナの影響で人が少なかったため、ありのままの自然を感じながらの登山でした。
自然のエネルギーによりクリアリングも進み、スッキリした様に思います。
しかし、山の頂上付近だけは、なぜか足が進みませんでした。
体力は残っているのですが、なぜか体に力が入らなかったのです。
フラフラになりながらも、ゆっくり登りました。
しかし、下りになると、身体は軽くなって、スイスイと歩けてしまいます。
エネルギーが強過ぎたり、高山病だったり、色々な要因が絡んでるのかな、
と思いながらも、深くは考えずに、二日間の縦走を終えました。
「小さな自分」の殻の認識
その後、山の頂上付近でのブレーキは、心理的なものだったのではないか、という指摘をもらいました。
それを聞いて、無意識に自分に蓋をしていたことに気づきました。
山の頂上付近はエネルギーが強く、自分の蓋が開いてしまいそうだから、無意識にブレーキをかけていた様なのです。
自分に蓋をしたままだから、蓋の外しかクリアリングが進まず、そこまでで止まっていたのでした。
思い返すと、この様な自分への蓋は、過去に何度も外した経験がありました。
小さい頃から、どこか自分を抑圧する力がかかっていて、なかなか自分を表現できないことが悩みでした。
その象徴的なものが、声の小ささで、喉が詰まってしまって、大きな声、通った声がどうしても出せなかったのでした。
父親は自分とは逆に、声が大きくて、うるさくて、恥ずかしい、と思っていたので、もしかしたら父親への否定から、逆に行ってしまったのかもしれません。
そして、大人になった頃には、何重にも自分を抑圧して(自分に蓋をして)、小さな殻の中に自分を押し込めてしまっていたのでした。
その後、人の心理について学び始めて、これが心理的な原因から来ているということがわかります。
そのため、長期的に、自己のクリアリングを進めてきました。
その過程で、殻が取れて(蓋が開いて)きたら、殻の中の感情をクリアリングして、殻を脱ぐ、ということを繰り返してきました。
そうやって、玉ねきの皮を剥くように、自分の殻を外してきました。
それにより、少しづつですが確実に、声が自然と出る様になっていきました。
殻を外して生きていく
これまでは、蓋が開いてしまってから、クリアリングをする、というプロセスでした。
しかし今回は、父親との関係が改善されてきたからでしょうか?
自己否定がゆるんで、蓋が自然と開いてきた様な気がします。
それをエゴ(自己防衛本能)が危険と感じて、無意識に蓋をしてしまっていたものと思われます。
それに気づいたことで、意識的に蓋を外すことができる様になりました。
しかし、オープンにすることには、どこか恐怖が伴いました。
そこで、意識的にオープンにしながら、出てくる感情をクリアリングしていきました。
それを繰り返す中で、少しづつ、自分を開いていくことへの怖れが減っていきました。
幼少期における父親との力関係
その中で出てきた怖れに、父親から否定された記憶がありました。
父親はせっかちで、私はのんびりなのですが、何度も何度も「遅い」と言われ続けていました。
どうも待てない性格の様で、せっかち基準から、「遅い」と否定してくるのです。
それが、ボティーブローの様に、心の傷(インナーチャイルド)になっていた様に感じました。
またそこに、父親との力関係があった様に感じました。
祖父は亭主関白だったので、父親も祖父の様に、強い父親であろうとしてくれていたのかもしれません。
母親に対しても、自分に対しても、上に立つ様な力がかかっていた様に感じました。
思春期頃からは父親に反抗できる様にはなりましたが、それより前の自分には、敵わない存在でした。
そのため、自然と上下関係が出来上がっていた様に思います。
どうもそれは、母親の胎内にいた時から、(父親に上に立たれる母親を通じて)始まっていた様にも感じます。
それによっていつの間にか、父親より弱い自分、小さな自分、というセルフイメージが形成されていったのかもしれません。
またその方が、父親が守ってくれる、というメリットがあったのかもしれません。
父親より「大きな自分」への許容
しかし、今の自分は、父親より弱く、小さな自分でいる必要はないのではないかと思いました。
実際、自分の過去生などを考えると、どう考えても父親より大きそうなのです。
それなのに、父親より小さな自分でいようと(父親を超えない様に)、変な力をかけていたことに気づきました。
それに気づくと、父親より大きな自分を出すこと、表現することに、許容が出てきました。
自分をストレートに表現しやすくなった
それまでは、自分を出すことに、どこか怖れがあった様に思います。
見えないブレーキの様に、自分をゆるめることにすら、どこかで抑えがかかっていました。
人と接する時にも、どこか怖れがあって、無意識に緊張していた様に思います。
父親など、過去の人間関係の経験から、どこか危険を感じていたのかもしれません。
その様な緊張がかなり減って、「ありのままの自分でいいや」という感覚になりました。
他人の反応を気にして、自分を出すことを抑制することが減った様に思います。
例えば、文章を書くときなども、素直に思ったことを書きやすくなって来ました。
必ずしもそれは良いことばかりではないかもしれませんが、笑
ストレートに表現できるので、すごく楽に書ける様になったと感じています。
「自分を守る人生」から「自分を表現する人生」へ
小さい頃から、「自分をありのままに表現できたらどんなにいいだろう」と思っていました。
自分を小さく、小さく抑えてきて、それとは程遠い自分になっていたからです。
10年以上前に心理について学び始めて、長期的には改善できそう、ということは理解していました。
とは言え、元々の自己否定が強過ぎたので、少しづつ、少しづつの改善でした。
声が小さ過ぎて、周りの人はほとんど聞き取れていない、というところから始まって、ようやく、喉に詰まりがなく、スムーズに話せるところまで来た様に思います。
(それでも他人から見たら、まだ小さいかもしれませんが、笑)
人生で自分を表現していく、という意味では、ようやくスタート地点に立てたのかもしれません。
これから先、本来の自分を表現する人生へと、進んでいけたらと思っています。
元エンジニア。幼少期から生きづらさを感じていて、自己の改善のために心の勉強を始める。
その中で感情カウンセリングに出会い、感情を扱う方法を学ぶ。それまでは対症療法的なことしか出来なかったが、そこからは徐々に感情が軽くなっていく。その中で、感情が厄介なものから、扱えるものへと変わっていった。
その後、大阪の会社を退社し、北アルプスの麓(長野県白馬村)へ移住。現在は、感情カウンセラーとして活動している。