幼少期に出来たセルフイメージからの脱却
前回の記事から、1年以上経ちました。
その後、昨年はまた大きな変化がありましたので、今回はそのことについて書いてみたいと思います。
この記事の目次
ずっと記憶にあった、道化を始めた時のこと
小学校3年生の時、香川県から、埼玉県に引っ越ししました。
当時のことはあまり記憶にないのですが、3年生の担任の先生と合わず、適応に苦しんでいたようです。
普通に考えたら当然で、文化の違う西日本から東日本への引越しは、それなりに大きな変化だったはずです。
駄菓子屋で、「これなんぼ?」なんて言って、いじられていたそうです。
それでも、子供だったので、すぐに関東の言葉で話すようになり、当時のことは忘れていました。
しかし、ずっと記憶に残っていたことがありました。
そのままの自分では適応できない、と諦め、ふざけて、道化を始めた記憶でした。
香川県の頃は、何かに没頭してやるタイプで、絵も上手でした。
しかし、ふざけて道化を始めてからは、あまり真剣にやらないようになり、そこそこの上手さになっていきました。
クラスでいじめもあったので、同調圧力もあったのかもしれません。
香川県のど田舎で自由にやっていた感覚ではうまくいかず、諦め、ふざけて道化になり、仲間として受け入れてもらうようになったのでした。
現在の自分との不一致
当時の自分にとっては、それしか方法がなかったのかもしれません。
しかもそのやり方は、その時点では上手くいっていて、それなりに楽しく小学校生活を送れたのでした。
しかし、今の自分がいまだにその方法を使っていることには違和感がありました。
色々と癒しを進めて来た今の自分にとっては、もう必要ない方法なんじゃないか、と思いました。
そのままの自分では受け入れられない、という感覚
前からも、薄々そう思ってはいたのですが、自動的、反応的にそれを続けていました。
特に人の輪に入ろうとする時、ふざけたり、何か自分を作るようになっていました。
どうも、そのままの自分では受けいれられない、だから自分を作らないといけない、という作用が働いているようでした。
そのままの自分では適応できなかったインナーチャイルドが、そうさせていたのかもしれません。
そのままの自分で生きてみる
そこで、道化の仮面をつけることを止め、そのままの自分で生きてみることにしました。
そのために、引っ越す前、香川県にいた頃の感覚を思い出そうとしました。
その頃の感覚を思い出したり、当時、少年漫画が好きだったので、似たような漫画を読んだりもしました。
ふざけず、真っ直ぐに絵を書いていた頃の感覚。
ただアニメや漫画に熱中していた頃の感覚。
そういった感覚につながって、不器用だけど、真っ直ぐだった頃の自分につながるようにしました。
そうしていると、かなり自由な感覚になって来ました。
自分を偽る必要がないので、無駄なエネルギーを使わなくていいし、そのままでいられるので、楽で自由な感覚でした。
蓋をしていた、人への怖れ、現実への怖れ
しかし、人が多いところに行くと、反応が出て、自動的にまた仮面を付けようとします。
例えば、8月に青森に行ったのですが、その時の夕食でもそういった反応が出ました。
その時も、仮面をつけるのを止めて、感情を感じるようにしていると、人への怖れや悲しみが出て来ました。
以前にも、「人の輪に入れない」といった悲しみはあったのですが、以前よりダイレクトに感じます。
怖れや悲しみが一気に押し寄せ、飲み込まれ、ネガティブスパイラルに入ります。
自分は受け入れられない、自分がいると輪を乱す、自分はいない方がいい、避けられている、など、思考がぐるぐると回ります。
それが嫌だったので、以前は、自動的に蓋をしていたのでしょう。
しかし、今回は蓋をせず、ただそれを感じるようにしていました。
最初は、度々ネガティブスパイラルに入っていたのですが、感情のクリアリングが進むにつれ、感情の波は弱まっていきました。
また、人への怖れや悲しみに敏感になっていたので、ちょっとしたことでオドオドしていました。
そういえば小学生の頃はこんなだったかもしれない、と思いました。
そんな中、山形に縦走登山に行きました。
山の中に4日ほどいたので、感情のクリアリングがさらに進み、感情の波は減っていきました。
またその中で、「現実が見えていない」という指摘をもらいます。
特に霊やオーラが見えるわけではないので、「じゃあ(物質以外の)何を見ているんだ?」と思ったのですが、何となく心当たりはありました。
小さい頃から、現実に対する苦手意識があったのです。
勉強は得意だったので、いつしか現実的なことから逃げ、知的なことの方に重きを置くようになっていった気がします。
そのため、現実を直視することを避け、「ぼやかして見ている」ことについて指摘されたのではないか、と思ったのです。
また、この「現実」というのは、父親を投影していて、「現実的なことが得意な父親」を否定することでもあったような気がします。
そもそも、現実的なことに対する苦手意識は、父親から来ていたような気がしました。
父親はせっかちで、こちらがやろうとするより前に、「まだか」「早よせい」と急かして来ます。
イライラの感情と否定のエネルギーと共にやられるので、インナーチャイルドとして蓄積されていきました。
実際に、現実的なことは不得意だったかもしれませんが、それとは関係なく、父親に否定されることで「現実的なことができない」というセルフイメージが形成されたのではないか、と思いました。
だとしたら、そのセルフイメージは幻想かもしれない、、
それに気づくと、「現実的なことができない」というセルフイメージが緩み、「できるかもしれない」と思えて来ました。
実際にやってみると、色々なことが出来ます。
特にびっくりしたのが、タスク管理やスケジューリングでした。
これは父親が得意だったことですが、学生時代から何度も取り組み、その度に「できない」と挫折して来たことでした。
それが、やってみると、少しづつ上達していきます。
やればやるほど、ちょっとづつ、上達していくのでした。
「あれ?出来るぞ。」
どうも、セルフイメージの枠から飛び出せたようでした。
そういった現実的なことの積み上げが進み、出来ることが増えてくると、「現実的なことも出来る」と、セルフイメージが徐々に変わっていきました。
そのままの自分でいられるようになった
感情のクリアリングが進み、セルフイメージが変化したことで、そのままの自分でいることが自然になりました。
オドオドすることもなくなり、自分を出してもオッケーな感覚に変わって来ました。
そのままの自分を出しても受け入れられるし、もしかしたら、そのままの自分を出した方が受け入れられるかもしれない。
そんな風に、感覚が変わって来たのでした。
現実世界での積み上げが始まった
そして、世界が広がり始めたように思います。
父親の投影だと思われますが、社会・現実は怖いところで、自分の枠の中にいないと危ない。
そう(エゴが?)思い込んでいたところから、枠の外に出て、現実的なことの積み上げが始まりました。
やってみると、やる度に上達するので、人生全般が少しづつ積み上がり始めました。
タスク管理、スケジューリング、コミュニケーション、家事、などなど、、
内側(内面)のことはこれまでも積み上がっていたのですが、外側のことも積み上がり始めたのでした。
小さい頃に出来たセルフイメージは見当違いの可能性がある
小さい頃に出来たセルフイメージは、忘れているからか、あたかも自分の人格の一部のようになっている、と感じました。
今回、改めて見直すと、かなり偏った、幻想のようなセルフイメージだったように思います。
父親のせっかちはかなり強烈で、今でも、何かに急かされるように、「まだか?早よせい。」と、こちらを急かして来ます。
おそらく、祖父に急かされて出来たインナーチャイルドではないか、と睨んでいるのですが(祖父もかなりのせっかちでした、、)、当時の自分には、かなりキツかったのではないかと思います。
ただ、今の自分は、それを言われても特に反応はなく、「こんな強烈だったら、それはインナーチャイルドになるよな。」と過去の自分を受け入れられたり、肯定できるようになっていました。
前回のコラムの時点では、父親との関係を対等にする一歩目を踏み出したところでした。
今回の変化で、父親との関係がさらに対等に近づいたように感じます。
今回のような幻想のセルフイメージは、他にもたくさんあるのではないかと思います。
だとしたら、さらに自分らしくなる余地があることになります。
幼少期に出来たセルフイメージに目を向けて、より自分らしくなっていけたらと思います。
元エンジニア。幼少期から生きづらさを感じていて、自己の改善のために心の勉強を始める。
その中で感情カウンセリングに出会い、感情を扱う方法を学ぶ。それまでは対症療法的なことしか出来なかったが、そこからは徐々に感情が軽くなっていく。その中で、感情が厄介なものから、扱えるものへと変わっていった。
その後、大阪の会社を退社し、北アルプスの麓(長野県白馬村)へ移住。現在は、感情カウンセラーとして活動している。