「コミュニケーションが苦手すぎる!」コンプレックスが消えて人付き合いがたのしくなった話
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相手は嫌いじゃないのに、人付き合いが苦手…。
友人数名で食事をしていた時のことでした。その中によく気がきく友人がいました。聞き上手で相手のことを引き出すような質問をして、テンポよく話が進んでいました。みんな楽しそうでした。
私も会話を聞いて楽しみましたが、自分にはできない気遣いを目の前にして、友人と自分を比べて落ち込みました。 友人は相手の喜びそうなことや必要そうなことに気がついて気遣いができるのに、どうして自分は相手の求めていることをキャッチすることができないんだろうと自分を責めていました。
コミュニケーションに関しては長年、こんな感覚がいつも自分の中にあって苦手分野でした。 初めて会った人と自己紹介まではしても、その先はうまく話せないし、交流会など人がたくさん集まる場所はどうしたらいいかわからないので気疲れする場所でした。立食パーティーは最も苦手でした。会話がテンポよくすすめられないことや気遣いが上手にできないことが私の大きなコンプレックスになっていたのです。
苦手意識の原因の発覚「弟への劣等感」
このコンプレックスについて感情カウンセリングのセッションで話してみました。
「なんで友人はできるのに私にはできないんだろう」と落ち込む気持ちや劣等感、「やろうと思ってもどうやったらいいかわからなくてできない」と悲しみを話しました。
そんな話をしているうちに弟のことを思い出しました。それは「弟はできるのに私はできない」という気持ちでした。
弟は愛嬌があって、人が求めていることをさっと差し出すのが得意なタイプです。仕事も私の苦手な飲食店の接客や販売の仕事を楽しそうにこなしていました。 小さい頃からそんな弟と比べられて育ったことを思い出したのです。
友人を見ていて感じた感覚は、弟に対して「そんな風にできていいなぁ」「なんで私はできないんだろう」と感じていた気持ちそのまんまだったのです。
劣等感を支える悲しみの解消と新しい発想
「こんなに真似しようと頑張ってるのになんで上手にできないんだろう…。」そんな挑戦するたびに感じる無気力感や悲しみがありました。
当時、母親に弟と比べて愛想がないと言われて「じゃあどうやって振る舞えばいいんだろう」と困惑したり、不機嫌に見えると言われて「普通にしてるだけなのになんで…」と傷ついたこと、「なんでわかってもらえないんだろう」「自分じゃダメなんだ」と感じた感情が今も残っていることをしばらく聞いてもらいました。
話をしていると、だんだん気持ちが落ち着いてきて、ふと「弟のコミュニケーションが唯一の理想だと思い込んでいるかも」と感じました。それは私にとって新しい発想でした。
それまでは「弟みたいにならなきゃ」と思っていたし「相手に合わせられなきゃダメだ」という気持ちでいっぱいだったからです。
「もしかしたら、弟のコミュニケーションを美化しすぎているのかもしれない」と感じ、「極端に美化しているならそれをやめたい」と思いました。
劣等感から自由になる
弟のコミュニケーションを美化することをやめようとして思いついたのは、まずは弟のコミュニケーションのデメリットを見つけてみることでした。美化しているということはメリットにフォーカスしすぎているのだと感じたので、真逆を見てみようと思ったのです。
デメリットについて考えていると、相手に合わせていく弟のコミュニケーションは関係性が深まりにくい気がしました。そして必ずしも相手の求めていることをキャッチして渡すことがいいことではないとも感じました。
販売業やレストランでの接客では求められる能力かもしれませんが、日常生活で関係性を深めたり、一緒に仕事を進めていく仲間とのやりとりでははまた別のコミュニケーションを求められているような気がしたのです。
「弟みたいに人に合わせられるようになりたい、気がきく人になりたい」と長年願っていたのですが「別に必須じゃなさそうだし、できなくてもいいかもしれない」という気持ちになってきました。考え方が全く変わったことが自分でも不思議で、信じられませんでした。
また、弟のコミュニケーションを客観的に眺めてみることで今度は自分がいつもしているコミュニケーションに意識がいきました。「じゃあ、私はどんなコミュニケーションを取ってるんだろう?」と気になったのです。
まずは今まで理想化していた弟のコミュニケーションと比較して考えてみました。テンポよく話すのに対してちょっとスローではありますが、よく考えて自分の本音を伝えようとする傾向があると感じました。当たり障りのない表面的な話を展開することは苦手意識がある反面、深い話をするのは好きだと気がつきました。
そうやって比較してみると「意外といいところあるじゃん」となんだか拍子抜けしました。そして「これはこれでいい気がする!」と自分のコミュニケーションに対してポジティブな感覚が生まれました。
すると「私は狭く深く人間関係を築くのが好きなんだ。」とコミュニケーションの好きな傾向も自覚できました。
視野が広がって自分らしさを発見
それまで「私は人よりも低い場所にいて劣っている」という感覚がありました。自分より一段高い場所に人がいるのでその人が壁になって周りの様子がよく見えない感覚も持っていました。
弟への劣等感が和らぐと自分の場所がぐーんと相手と同じ高さまで上がって同じ高さに立っている感覚に変化しました。対等になったと感じました。
同じ高さに立つと視界を遮るものがなく、以前よりも周りがよく見える気がしました。それは視野が広がり、世界をフラットにみているような気分でした。
「弟みたいにできない自分はダメだ」と決め込んで落ち込んでいたのが、「弟のやり方もあるし私のやり方もある」と対等に比べることで、コミュニケーションにはもっといろんな種類があるのかもしれないと視野が広がっていきました。
この新しい感覚とともに「これからは自分らしいコミュニケーションで人と関わってみよう」と前向きになりました。
思い出したコミュニケーションの目的
コミュニケーションに対する思い込みがなくなったことで人と接することにそこまで躊躇しなくなりました。
弟みたいにうまくやらなくていいと思ったら気楽に話せるようになりました。
それまでは自分がちゃんとできているかのチェックに忙しくて相手のことをちゃんと見ていなかったのかもしれません。
そして、「相手に合わせなきゃ」ばかり考えていて、私がコミュニケーションを通してしたかったことはなんなのかをすっかり忘れていました。
劣等感から解放されたことで思い出した私のコミュニケーションの目的は、目の前にいる大切な人に大切だと思っていることを伝えることでした。
「そういえば、幼い頃はそんな気持ちで人に接していたこともあったなぁ」と心の中に当時の暖かな感覚が鮮やかに蘇り、広がっていくのを感じました。
楽しさとともに広がった人間関係
コミュニケーションの目的を思い出したことで、人と接する時間に感じることはだいぶ変わりました。
「今、どうしなきゃいけないんだろう」という感覚から「自分が相手に何をしたいか」という感覚に変わりました。
そんな感覚の変化は些細な会話を楽しい時間にしてくれました。
初対面の相手に会う抵抗もだいぶ軽減しました。「ちゃんと話さなきゃ」とか「これで合ってるのかな」とか自分をチェックしなくて済むからです。
その結果、誘われた集まりに以前よりも顔を出すようになりました。以前は誘われても上手く話せないことやどういう自分でいたらいいのかわからなくて、行く気になれないことも多かったのです。
そんなことが積み重なって、なんだか気がついたら新しい友達も増えていました。そして、休日の過ごし方がだいぶ変わっていました。家にいることが断然多かった私ですが、友達との予定が入ってスケジュール帳が色鮮やかになりました。新しい世界に足を踏み入れた気がしました。
まとめ
コンプレックスがあり、劣等感を感じていた頃は、コミュニケーションをとろうとするたびに「自分は弟より劣っている」と感じたときの悲しみが疼くので、その見方の癖や思考パターンを繰り返していました。
感情が疼くことで、相手よりも低い場所にいる自分、欠けている自分を再現していたような気がします。
こうやって感情には物事の見方の癖や思考パターンを固定する働きがあるようです。
でも感情がクリアになれば私たちは不本意に身につけた見方の癖や思考パターンに振り回されず、どんな見方でも思考でも選ぶことができるようになります。感情的になっているときには見えなかった視点を取り入れて、どんな見方をするのか自由に決められるからです。
感情がクリアになるということは、どんな世界に生きるのか選べるようになることなのかもしれません。
あなたは、どんな世界で生きていきたいですか?