感情を認めることが苦手 

小さいころから自分の感情を否定、それ以前に抑圧していました。物心がついたのは昭和40年代。両親は当時のご多分にもれず、「これしちゃいけない!」「○○しなさい!!」など、世間目線の要求が強かったことが思い出されます。他の家の親も個性差はありましたが、世間体ありきの要求は似たものでした。自分と群れがちな子どもたちは「類友」で、似た傾向を強化し合いました。「○○したら世間の恥、笑いもの」など、地域や(昭和)時代に固有な世間目線は相乗効果的に強化されました。

相乗強化が行き過ぎ、親のひどさを競い合う子もいました。お互いにねじれていました。親自体は必死な躾なのに、悪ふざけで茶化さないと「やってられない」と言う子もいました。時代的にも反抗や斜に構える風潮でした。小1くらいに「戦争を知らない子供たち」という唄が流行りましたが、同世代の共通傾向は世代連鎖の傷跡も影響していると思います。

 

感情否定論(ビリーフ)

そんな環境で、「感情を表わすことは卑しい」という根拠の希薄な思い込みを、一部の仲間内で育んでいったように思い出されます。小学校の4年生くらいになると同級生の一部が鼻につくようになりました。嫌いな先生や生徒の陰口など感情を表すだけならまだしも、感情を利用して臆面もなく同調圧力をかけてくる振る舞いです。そんなケースが積み重なると、「感情を表わすことはずるい」などのニュアンスも観念に付着していったと思います。観念が正論に聞こえる場合はやっかいです。正当化に長けている同士で「許せない力」を伸ばし合いました。傷つく表現力や不幸を感じる力に長けた人を高級貴族とみなし、アフリカの飢餓などとの比較論を振りかざす嫌なガキでした。思えば自分が最も感情的でした。

 

感情の自主規制

こうして他者の見方が捻じれ、自分にも感情を自主規制するようになっていきました。男の子同士で好きな女の子の話しも、最後まで自己開示できない方でした。恥ずかしい気持ちがあったと思います。チグハグだったのは、疲れていても大丈夫な振りをすることです。人前でため息をついたり、疲れをこれ見よがしに演出(表現)する人間を見ると、「人前で弱みを利用してんじゃねえよ」と心の中で毒づいていました(笑)。逆に「やせがまん」の頑張り屋さんを見ると応援したくなりました。おそらく自己投影でしょう。本当は泣きたい時、心が乾いてチャージしたい時、頑張っているやつを見ると余計なおせっかい心がもたげがちでした。自分がHelp!を言えないからです。

 

仕事場で居場所のない感情

そんな子供時代から約半世紀、壮年になった今も基本的な傾向はあまり変わりないかもしれません。むしろ感情を装うことに長け、持続力やパワーは低下、感情やそれに伴うクセも分かりにくく解消機会は得にくいかもしれません。特に仕事場では、舞台での役割演技が習い性になっています。仕事の状況は厳しい局面で、心は折れそうなのにポーカーフェースもあまり苦になりにくい年代でしょうか。関係者は見てないようで僕の表情などを細心に窺っているときもあります。厳しい局面を長引かせないことにポーカーフェースが機能することを学習し、感情はますます表現下手に陥りがちです。仮面やステージ衣装のはずが舞台を降りても外し忘れ、いつのまにか「素顔のままで」居れなくなります。様々な現場で戦う社会人の方は、多かれ少なかれ似たような経験を積んでしまうのではないでしょうか。

 

反動と一時しのぎ

そんな生活を続けていると、感情は固まったまま元に戻りにくくなります。さらに身体も固まり、床屋さんや整体の先生に「ガチガチじゃないですか」と言われる有り様です。たまに、お小遣いの範囲で小料理屋でひと息、親爺や女将にグチを聞いてもらう時間が数少ない自分に戻るひと時でしょうか。整体も喫茶店もガラ空きの時間帯を狙って平日の日中に休みを取り、ゆったり合間のお喋り、心も同時に解してもらうので面倒なお客です。あとはオタク的にポップスやエッセイなどの共同幻想に逃げます。飽き性なのでマニアックに深まる金脈は稀です。こんなこと繰り返しても、お小遣いと時間の浪費、根本は数十年経っても変わりません。もちろん、サードプレイスは誰しも一時しのぎなりに大切なリソースです。

 

感情のクリアリングとの出会い

そんな中、お仲間の結婚式に出席した折り、1~2年ごぶさたしていた友人・知人の変化に接しました。数名ですが何となくつかず離れずの距離感が、より心地よい方向に変わったなと感じられました。自分は相変わらず「放し飼い」されたいのに見ていてほしい人間(?)でしたので、多少さみしいくらいでした。その後、その界隈の方々で変化を感じられた人の共通項に、感情のクリアリングがあるのではと思いつきました。

 

クリアのさっぱり期待

そこから感情のクリアリングに好奇心が生じました。また、自分も日ごろから身近に、ちょこまかクリアリングを出来たらいいなと思うようになりました。シャワーを浴びるようなさっぱり感でしょうか。実際、疲れているときは日中でもひと風呂浴びてから仕事に戻ると集中度が異なります。鋭いお客さんはサッパリしていますね、なんて見抜かれてしまいます。人の事を扱うお客さんが多いだけに、肌感だけでなく意思疎通の風通しも目詰まりの減少を見抜かれるようです。

 

心身の健康動機

内面のクリアリングもこんな感じでありたいものです。むしろ内面こそ健康など外面に与える影響も含め、クリアリングのコストパフォーマンスは高いと思います。逆に、年相応に健康に対する危機感も、感情のクリアリングに意識が向いた一因です。一日の中でパソコン仕事も少なくなく、油断していると眼精疲労が蓄積します。ひどいときは頭痛や腰痛に出るときも少なくありません。後から分かったことですが、感情の「底」が浅いために、内面の鬱積も肉体に表れやすかったと思います。

 

感情の底にある地層「の・ようなもの」

以上のような心身のキレ味よろしくない感じが、感情カウンセラーの養成講座を受ける理由だったでしょうか。感情の「底」の固まった地層のクリアリング期待は小さくなかったと思います。実際に受講してみてどうだったか。もちろん、きれいにさっぱり除去というわけにはいきませんでした。感情の底の凝り固まったコンクリートのような地層に、多少のひび割れが入った程度かもしれません。むしろ、ひび割れた地層から感情のガスのようなものが漏れ始め、頭痛や腰痛は多少増えたか、または感情も含め早期にキャッチしやすくなった感じでしょうか。

 

顕在意識効果

それより、従来のパターンが壊れ始めたことが大きいかもしれません。これまで、怒りや動揺など分かりやすい感情しかキャッチしにくかったのが、その他の感情:怖れなどは割と日常的に生じていて、反応的に思考や言動、逃げなどに繋がっていると、たまには思うようになりました。もちろん、忙しさにかまけて(逃げて)いると、無意識の作用で感情を自主規制・抑圧するパターンに戻す力は、強大に働きかけていると思います。心身の健康生活や自己成長を指向するうえで最も恐ろしい一つが意識の無意識化と思われます。(逆に、ポジティブに使用した場合の影響も大きいわけですが。)

 

方向転換の知恵

本当は四六時中、そこはかとない不安やよろこびの感情にも苛まれているのかもしれませんが、まだ明確にキャッチできるほどは開かれていないと思います。ただ、感じる方向に舵が切られたことが、まずはよかったなと思いました。1から2は自力でも改善可能性ある一方で、0(またはマイナス)から1(プラス)は他力や先人の知恵を借りた方が、登山のように余計な廻り道をしないで済むからです。まだ感じる入り口なので、日々クリアリングを積み重ねて、もう少し奥底の地層に溜まった感情に近づいた方がよいのですが、無意識の抵抗か過去に比べて「まし」程度で満足しがちです。自己成長に甘いかもしれません。

 

日常生活

ただ、実は日常生活は感情のクリアネタに溢れかえっています。歯を磨くように就寝前はクリアリングをしたいものです。言うは易し、継続は難しなのですが、多少クリアした後は、より根底の精度ある(強力な)クリア素材が現象化するようで、ある程度進んだ気になれます(地道に積み重ねないと後戻りしやすいです)。そうでないと、いつまでも同じような課題をぐるぐる廻っていて「数年前と似た事」に再会しかねません(汗)。

 

ニュートラルなツール

クリアリングの一パーツですが、相手とお互いの影響を連鎖反応させにくい比較的ニュートラルな立ち位置をつくるコンパクトな手法があります。これは電車の中、喫茶店、会議、面談、家庭などあらゆる場面で有効なツールとして使えます。ハンディな手法ですが強力で、使うほど習熟します。本当は子供時代をサバイブする中で無意識のうちに使わざるを得なかった方法に頼っていましたが、自己流で固定化の副作用も小さくありませんでした。見えにくい手法はセオリーどおりのより普遍的な活用と、力こぶでなく日々不完全に気楽な積み重ねが大切です(リラックスと集中など)。万事同様かもしれません。

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