周りの反応を気にしないで、自分の外見を受け入れやすくする方法
こんにちは、感情カウンセラーの山田純平です。
平日はシステムエンジニアをしていますが、週末は楽しく農業に勤しんでいます。
土に触れ、野菜の成長をサポートするのは学びもあり、喜びや癒しにもなりますね♪
本当に楽しい時間です。
今は神奈川県の三浦に住んでいるため、都会へ行くには時間がかかります、、
片道2時間以上かかるので結構な疲労度です。
通勤手当なるものが欲しいとよく思います。それほど無駄に疲れる感じがしています。
テレワークがもっと一般的になると嬉しいですね。
ただ、今は職場に出勤しないといけないので毎日電車に乗って通勤しています。
通勤の疲れを軽減するために色々と試行錯誤していますが、半白衣が結構有効でした。
(ここで言う半白衣とは修験者の法衣のことです。お遍路さん(上着だけ)のイメージです。)
という訳で、通勤の往復は半白衣を着て、職場についたら着替えるようにしていました。
そして、ある日事件は起こりました、、
うっかりしていて着替えを忘れてしまったのです、、
会社に行く電車の中でそれに気づいた途端、「ヤバい!!」という思いと共に怖れと不安が込み上げてきました。
そのままにしておくと、どんどんその感情が大きく膨れ上がっていきます。
「ヤバい!ヤバい!!」という思いとは逆に、電車はどんどん職場に近づいていきます。
とりあえず、この感情を落ち着かせるために、感情のクリアリングをすることにしました。
この記事の目次
怒られたらどうしよう、という思い。
「この服で会社に行ったら怒られるな、、ヤバい!!どうしよう!!」
そんな思いとともに、怖れと不安が湧き上がり続けていました。
さらに、なんだか自分が社会に適合できていない人間で、ダメな奴、はみ出しもののような感覚が出てきました。
というのも会社ではほとんどの人がスーツです。
カジュアルでもオッケーな規則ではありますが、なぜかみなさんスーツなんですね、、
それで一体感、安心感があるのでしょうか。
はたまた、着る服を考えなくて済むから楽というのもメリットなのでしょうか。
そんなスーツだらけの人が100名くらいいる職場で、半白衣で仕事をする訳です。
「どうしよう、、」そんな思いが頭をぐるぐるしていました。
ただ、服装がみんなと違うだけなのですが、怖れや不安が出るものですね。
心の何かが反応しているのでしょう。
すごく悪いことをしているような感覚がずっと胸のあたりに在り続ける感じは辛く、しんどいですね。
子供の頃から、いつも周りに合わせていた。
そういえば、子供の頃からいつも周りの友達に合わせていました。
「サッカーしよう!!」と誰かに誘われると、用事がない限りは、興味がなくてもついていきました。
心の中では「つまらないな、面白くないな、」そんな言葉を何度もつぶやいていました。
そして、行ったら行ったで楽しむ訳でもなく、なんとなく無気力な感じでつまらないからぼーっとしていました。
でも、つまらないからといって自分から帰ることはしませんでした。
みんなが帰ると言ったら帰る。そんな生き方でしたね。
当時も思っていましたが、改めて思い返すと「残念な子供時代」を過ごしていたなと思います。
自分都合、自分の思い、自分勝手に行動することは良くないとして、周りに合わせてしまう。
周りに迷惑をかけるのはよくないし、嫌われたくないという思いが強かったのだと思います。
出てきた怖れや不安を感じる
今回は半白衣で仕事場に行き、そこで1日中仕事をする怖れや不安を「ぎゅーっ!」と感じていきました。
感情はいつも胸の中心辺りから湧き上がってくる体感覚がります。
それをしっかり受け止めて感じていく。感じていくとどんどんと感情が大きく強くなっていきます。
それでも、粘って出てきた不安や怖れがなくなるまで感じ尽くす。
そんなことを、じっと丁寧にやってみました。
ずっと出てきた感情を感じていると除々に軽くなっていくのが分かります。
お風呂のお湯がどんどん減っていく感じに似ているかもしれません。
最初はどんどんお湯が増えていくのですが、ある一定のラインで止まり、今度は線を抜いた時のように減っていく。
そして、お湯(感情)が空っぽになったら、今回のクリアリングは完了です。
そんなことを意識しながら感じていると、湧き上がり続けていた不安や怖れがふっと軽くなり、全く出なくなりました。
「これだけ感情のエネルギーが自分の中に溜まっていたんだとな。」と思いつつ、感情を感じることのメリット、重要性を再認識しました。
気づき
「着ている服がみんなと違うだけ」
「みんなより個性的」
「人とは違う行動や言動」
今回の件で、それ自体は悪いことではないと思いました。
ただ、それを自分の中で良くないこと、ダメなこととしていて、抑圧してしまっている感じがします。
チャレンジが怖いという方は似ているのかもしれません。
そうなると自分がしたいことも抑圧してしまい、無難な選択になりやすいと思います。
そういえば、小さな頃から知らないお店に入るのがとても怖かったのを思い出しました。
そして、入らないでいつもの慣れ親しんだお店に行く。
無難ではありますが新しい刺激や変化の薄い生き方ですね。
「怖いから。不安だから。」という感情に負けて行動を選択してしまっていました。
でも、親や先生に怒られても怖くても、もっと自分のやりたい事をやって、自分の言いたいこと、気持ちを表現して生きればよかったと思います。
それは今からでも遅くはないので、もっと本来の自分を取り戻していきたいですね。
今更ながらですが、自分の人生を行動レベルで変えるツールとして感情をクリアリングしていくことは、かなり効果的だと感じました。
変な人と思われてもいっか、という感覚が増してきた♪
今回出てきた不安や怖れを感じることと、そこから得た気づきにより、なんだか「変な人に思われてもいいかな。」と思える感覚になってきました。
あまり他人の評価を気にしないでいれるような、自分は自分のスタイルでいいんだな、という「今の自分自身に安心した感覚」です。
今までは周りの目を気にしすぎていたんだと思います。
もっと自分らしさや自分の才能を開放して、子供のように素直に楽しく、ある意味「あほ」で生きてもいいのかもしれませんね♪
そんな気分が自然と出てきます。
良い意味で周りのことはどうでもいいような、関心が薄くなったような感覚です。
「本当に周りの目がどうでもよくなったら、自分はどうなるんだろう?」という面白みと怖さもありますが、日常が今までよりも楽しい感覚は増したように思います。
いつも半白衣で出勤!!
今回の事件?からはいつも半白衣で通勤して、仕事をするようになりました。
いやー、体が楽ですね♪とってもお奨めですよ。
職場の人たちは最初はちょっと引いていましたが、慣れとはありがたいものです。
今ではみなさん何事もなかったかのように普段通りの接し方で、個人的にも違和感なし!!
体も以前に比べて疲れにくいし、いいことずくめです。
今までよりも快適にシステムエンジニアの作業ができています。元気って大事ですね♪
今後も恥ずかしがらないで、半白衣で職場や街を闊歩したいと思います。
まとめ
意図しない「半白衣事件」から出てきた怖れや不安。
それを感じることで、一歩自分らしく生きることへ進むことができました。
このような自分の枠を出る怖さは誰にでもあると思いますが、それを感じて乗り越えていくことで、より自分らしい生き方に変化していけると思います。
いきなり、今回のようなジャンプアップではなく、日常のもっと小さなチャレンジから始めてみると、安全に徐々に変化していけるように思います。
感情を丁寧に感じて、不安や怖れに振り回されないで、自分の人生を選択したいですね。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。