朝起きられなかったのは、未だ「生きづらい場所」にいるとカン違いしていたから。 

朝、起きられない…

以前のことです。
しばらく朝起きられない時期がありました。
「起きられない」はちょっと不正確かもしれません。
正確に言うと、ベッドで朝目が覚めて、そこから抜け出るのに30分以上かかる日が10日ほど続いたのでした。

どよんとした感覚に襲われる

1時間ほどかかった日はちょっと「ヤバいな」、と思いました。

寒くて出られない、とかそういうことではありません。
重だるく嫌な感じから始まって、どよんとした感覚です。
何もしたくない、引きこもっていたいような感覚です。

幸いその時期は、午前中早い時間に仕事の約束がありませんでした。
だから、その気持ちに向き合うことができました。

会社員時代であれば、起床時間になればそんな感覚はすっぱり振り切っていたであろう、
モードを切り替えて忘れたであろう、そんなレベルの感覚でした。

思い返してみれば、実際会社員生活を送っていたときには寝起きによく感じていた気分です。
でも、すぐ頭を切り替えて無視していたことを思い出します。
独立して個人事業をスタートしてからはあまり湧いてこなかった感覚でしたが、その時はしばらく毎朝続いたのでした。

あまりに続くので、裏にある気持ちを探ってみました。
気持ちの良いものではありませんでしたが、向き合いながらよく見てみると、どよんとした感覚の奥にぼんやりと見えてきたものがありました。
それは、怖い、怒られる、無理だ、、という諦め、やりたいことができない、‥等、具体的なイメージを伴う気持ちでした。

それは小学生の頃の朝の気分では?

そのときの重だるく嫌な感じ、どよんとした感覚は、子供の頃の朝の様子を思い出させました。
わが家は両親ともに学歴を重視する家庭で、まだ「お受験」は珍しかった時代ですが、小学受験や中学受験を経験しました。
また父は昭和ひと桁世代で、長男である自分はしつけも厳しく育てられた記憶があります。

そういう家庭環境で、当時は日頃から「勉強しなさい」、「テレビ見ちゃだめ」、「ゲームしちゃだめ」、「マンガ読んじゃだめ」、「買い食いはダメ」、「お祭りも行っちゃ駄目」、「〇〇君とは遊ばないように」、‥等、まぁ今だとあまり想像できない環境かもしれませんね、毎日そんなことを言われて育ちました。

当時子供の自分が感じていたのは、
「やりたいことはやっちゃダメ。やりたくないことはやらされる。」
「でも親に食べさせてもらってるからしょうがない。」
「奴隷だな…」‥等、
ある種絶望的な気分でした。

特に小学5、6年生の頃はバスと電車を乗り継いで毎日塾に通うのが辛かったのを覚えています。
そして、毎朝母の甲高い声で起こされるのが辛かったのを思い出しました。
今回の重だるい感じは、あのときの嫌な感覚ととても似ていました。

あの当時のつらさや我慢、満たされなかった思いがいまだに心の奥深く残っていたのでした。
当時はあまりにつらく惨めで、心の奥底に封印してしまったようでした。

ようやく封印を解く時期が来たのでした。

「厳しさと我慢こそが教育」という価値観

封印を解こうと、まずは当時自分がなにを我慢していたか、何が辛かったかをあらためて思い出してみました。

  • 放課後に友達と遊びたかったけど毎日塾があって遊べなかった。
  • 好きな漫画を好きなだけ読みたかった。
  • お笑い番組が見たかった。
  • 超合金ロボットのおもちゃが欲しかった。
  • 休みたかった、ごろごろしたかった。
  • 「よく頑張ってるね」と認めてほしかった。
  • 家族でバカ笑いしたかった。
  • お父さんをからかって笑い合いたかった、…。

親にほめて欲しかった時期に、「人は褒めちゃいけない。褒めたら甘えてだめになる。だから褒めないんだよ。」と聞かされました。

ある時、98点のテストを持って返った時「98点と百点は全然違う。98点は98点だけど、百点は120点かも200点かもしれない。」と諭されました。
「ケアレスミスをするな」というメッセージだとわかってはいましたが、子供心には「叱るのが愛情」というような空気はとてもつらかったものです。

当時は一事が万事、その調子で辛い思いをするのが当たり前だった気がします。

さらには、そんな環境下で勉強し、随分と力をかけてもらった中学受験でしたが、残念ながら不合格となりました。
勉強を強いられたことを恨みに思ったりもしましたが、それでも親をがっかりさせたことに申し訳なく思っていたものです。それも辛いことでした。

そして中学生になり、反抗期を迎え、親の理不尽さに怒鳴り返すようになりました。
でも、その一方で本当には親に迷惑かけたくないから基本的には言うことを聞く、という板挟みの苦しさがありました。
例えば、「受験に差し障りがあるから」という親の反対で、やりたかったクラブ活動を諦めたことも小中高と何度かありました。

こうしたつらさは、仮に話しても友達にも親にも理解してもらえず、誰にも話せなかったのがまた辛かったものです。
子供の自分としては勉強だけに縛りつけられるのは一種の拷問でした。
しかし、両親にしてみれば、戦中戦後に幼少期を過ごしたため、
「自分たちはやりたくてもできなかった勉強を存分にやれる、そんな幸せな環境を用意してあげらている。」
という認識です。

令和の今となっては、書いてる自分でさえ絵空事のように感じてしまいますが、
昭和という時代の影響か、両親もわが子を苦しめているなんて思いもよらなかったようで、
子である自分としては、とにかく根性で「なんとしてもこの環境を生き延びなければ‥」という思いでした。

今あらためて振り返っても、子供にとってはなかなか過酷な環境だったと思います。

そのつらさ、我慢、傷ついた気持ち、がっかりした気持ち、怒りや悔しさ、悲しみ、などをひとつずつ思い出しては追体験していきました。

 

状況を思い出し追体験することで、その時の感情が思い出されます。
そして、それを素直に感じるたび、胸の奥に固まっていた種のような固まりがほぐれていきます。

そのたびにどよんとした淀みが減っていき、スッキリした新鮮な空気が心に呼び込まれるようです。

ある程度軽くなったら、
今度は「本当はどうしてくれたら嬉しかったのか?」を考えてみました。

本当は遊びも勉強も部活もどれも存分にやらせてもらえたら、嬉しかったろうし、力も発揮できただろうな…。
本当は、あの小学生のしんどかった時に、穏やかに僕の気持ちに耳を傾けてくれたら嬉しかったろうな…。

イメージの中でその嬉しさや喜び、ホッとする気持ちを味わいます。
そして、実際はそうでなかった、という怒りや悲しみが湧いてきたら、それも味わいました。

これを繰り返すうちに、状況を思い出しても湧いてくる感情の勢いがだんだん弱くなってくるのでした。

「人生は厳しいものだ」という思い込み

感情のクリアリングをすすめるうちに、様々な感情や思いに隠れて、
こんな思い込みがあったことに気づきました。

「人生というのはやりたいことができないのが当たり前」
「毎日は、やりたくないことをやらされる試練の世界、修行の場なのだ」
「苦しいことこそが自分を磨く」

これは毎日の痛みやつらさを紛らわすため、自分に言い聞かせていたことでした。
こういうものだ、と思いこんでおけば、いちいち悲しんだり、痛みを感じたりしないでいい、というわけです。

事実は、戦中戦後の大変な時期をくぐり抜けた両親の思いと、高度成長期に育った自分の思いとがかみあわなかったということで、これらが人生の真理というわけではありません。

でもそれがまるで真実かのように固定観念になっていたようです。

 

人生がそんなに厳しいなら、誰が好き好んで起き上がって毎日をスタートするでしょうか?
自己一致が進めばなおさらのことです。

おそらくここから「朝起きられない」につながったのでしょう。

令和の現在、自分もすっかりいいおじさんになり、時代もまるで変わって、人生は自分の生きたいように生きられる。
実際ここまでもそうやって生きてきた。

感情をクリアリングした後に、あらためて上に挙げた観念を見直しました。
すると、もうすっかり時代錯誤な感じがしたのでした。
そして固定観念も崩れたようでした。

「よく頑張ったなぁ、自分」と心の底から思ったのでした。

楽しい時間が増えた

ここまで過去の整理をしたことで、みぞおちの辺りにいつもあったモヤッとしたものがなくなりました。
また、これまで人生の選択に迫られたとき、自分がやりたいことを大切にして選ぶようにしていました。
しかし、そのときにどこか肩肘を張っていたことに気づきました。
いつも、まるで自由を獲得する戦いを挑むような気分で選んでいたかもしれません。

でもこの過去の整理以来、現在の自分は自由が許されている、ということ。
やりたいことを自由にやれる世界、やれる時代に生きているということがわかって、肩の力が抜けています。
ワクワクする時間が増えているような気がします。

「朝起きられない問題」の解決

今回の整理のきっかけとなった「朝起きられない」問題ですが、気づけばすんなり起きられるようになっていました。
一日に対する感覚が変わって、「不自由で厳しい」ものから「自由でスリルある冒険の場所」になったわけですから、自然なことかも知れません。

子供の頃から抱えてきた「人生は厳しいもの、生きづらい試練の場。」という固定観念がずっと影響を与えていたかと思うと、これまで消耗していたエネルギーのことを考えてもったいないことしたな、と思います。
それでも Late is better than Never.「改善するのに遅すぎることはない。」ということで納得しています。

その他にも、 スケジュールを立てる時に、やらなきゃいけないことよりやりたいことが浮かんできやすくなった。
ときどき夜にクッキーをどか食いすることがあったんですが、それもやらなくなった、なんていう変化もありました。気づかなかったストレスが減ったのでしょう。

まとめ

子供の頃に全てを受け止めることができなかったつらい感情が、三、四十年たっても影響を与え続けて、朝のどんよりした気分につながっていたのでした。

その影響の大きさをあらためて実感しました。
と同時に、どれほど昔の感情であっても、追体験することによって解消できること、身軽になることも実感できました。

また重いコートを一枚脱いで、無理せずやりたいことがやれるようになったので、楽しみます。

どんよりや怠(だる)さから抜け出して、人生を楽しみたい方へ。
気晴らしの食事や旅行もいいですが、感情を見つめてみるのも役に立つかもしれません。
根本的な原因が見つかれば、同じ嫌な気分に襲われなくなることもありますよ。

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