つまらない毎日から抜け出す魔法の言葉
この記事の目次
好きだったはずの料理がめんどくさい
楽しかったことが急に楽しく感じなくなってしまったり、何にも興味がわかなくなったりすることってありませんか?
私がそんな感覚に気がついたのは、職場で賄いを作っていた時でした。以前は賄い当番の日がとっても楽しみで、待ち遠しく感じるほどでした。でもある日、その気持ちをすっかり忘れていることに気がついたのです。
食材を見ても何を作ればいいのかわからないので、とりあえずある野菜を炒めて毎回野菜炒めを作っていました。味付けも塩胡椒ばかりでした。飽きてきて味付けを変えたいのですが、思いつかないのです。なんだか心が壊死してしまったようでした。何を食べたいかすらわからない無感覚な日々が続いていました。
モノクロの世界を生きる
以前はとっても楽しみにしていた料理の時間です。食材を見ると試しきれないくらいアイデアが湧いて、どれを作ろうか迷ってしまうくらいでした。それが、家での食事もなんだか面倒で、とりあえず納豆ごはんだけで済ませたり、外食が増えたりしていました。鮮やかな時間が何も感じないモノクロの時間に変わってしまったかのようでした。
何がしたいかわからない
ちょっと困ったこともありました。モノクロになったのは料理だけじゃなかったのです。来る日も来る日も何がしたいかわからない日々でした。
職場から家に帰ると「今日は何をしたらいいんだろう…」そんな風に無機質な時間を過ごしていました。全てが砂になったような感覚でした。「なんで何にも感覚が出てこないんだろう。」と不思議でした。無感覚な自分に不安と戸惑いを感じていました。
しばらくそんな日々が続いていました。毎日出口が見えないので、残念で悲しく感じました。自分の感じていることがわからないのはとても辛いことでした。
母との思い出と本当の願い
辛い日々がしばらく続いた時のことです。ある人に全く別のことを相談していました。その話を聞いてもらった時間が無感覚で困っていた私に解決の糸口をくれました。
その時間は私にとってなんだか不思議な時間でした。
状況を話すと相手はただ、話を聴いてくれました。特に意見やアドバイスは言われませんでした。話をしていると、急に涙が溢れました。それは、悲しいような、嬉しいような、なんとも言えない涙でした。
話して聴いてもらっているだけなのに、なぜか今までずっと言って欲しかった褒め言葉を言われているような気持ちになりました。ただの相槌からこんなに肯定や暖かさを感じたことは今までになかったかもしれません。そして「ずっとそうやって認めてほしかった」と感じました。
その時、母親の姿が浮かびました。「ずっと認めて欲しかった」という気持ちは母親に対するものだったからです。思えばいつも何かを求められていました。習字やバレエなどの習い事、中学受験の勉強などです。中学に上がってからも母の求める理想の娘になろうと頑張っていました。
母の望む娘は、明るくてなんでも話す娘だと感じていました。でも実際の私は口数も少なく、特に話す話題も思いつかない、無口な娘という感じでした。
「今日学校どうだった?」と言う質問に対して「…。」「ふつう。」などと短い言葉で答えると母が不機嫌になり、話題を探すものの思いつかずに戸惑う、なんてことはよくありました。なんとか学校で何があったか説明しようとするのですが、残念ながら学校が嫌いなので何も話題が出てきませんでした。
また、明るく振る舞うためにテンションを上げようにも自分でコントロールできるものでもないので、「お母さんが好きな明るい娘にはなれない…。」と感じていました。
そんな蘇ってきた思い出と共に母親に対する感覚を感じていると「何ができるとか、できないとかそんなことは関係なく「そうなんだね、それでいいよ」って言ってほしかった」「温かい眼差しがほしかった」と今まで聴いてこなかった私の本当の願いが聞こえるようでした。
無感覚の原因を知る
「そっか、ずっとありのままの自分を認めてほしかったんだ」「認められていない感覚が悲しかったんだ」と実感を持ったのは私にとって重要なポイントでした。私がずっと欲しかったものに気がつけた瞬間であり、無感覚の原因がわかった瞬間だったからです。
「ありのままの自分を認めて欲しかったんだなぁ」と気がついてから、固まった心が少しづつほぐれていくのを感じました。同時にありのままの自分で認められないことに怖さを感じ、フリーズしてしまって無感覚になっていたんだと実感がありました。
ありのままの自分では認められないことが当たり前になっていて、そこに怖さがあるのは思いもよらないことでした。怖がっている自分を無視することで自分をさらに恐怖に陥れ、無感覚にしていたのは実は私自身でした。
「そうなんだね」で心が生きかえる
本当の願いに気がついてから少しづつ無感覚な状態から抜け出し、食べたいものくらいは感じられるようになってきました。無感覚になってからは機械的に納豆ご飯か外食をするかのどちらかだったので、心の回復を感じました。
職場からの帰り道、晩御飯を考えながら歩いていました。店内を歩いていると食べたことのないグルテンフリーのパスタを発見しました。グルテンフリーのパスタは新しいものを見かけると色々試したくなることがが多く、この日もそうでした。その日の夕食はパスタになりました。
そして、パスタを茹でながらとてもワクワクしている自分に気がつきました。ワクワクしてる自分をありのまま認めている自分もいました。それは「そうなんだね」と声をかける感覚でした。
そうやって自分の感覚を肯定的に見つめていると「私、そうなんだね、って言って欲しかっただけなんだ。」と腑に落ち、無感覚になったときに消えてしまった料理を作るのが楽しい感覚が蘇ってきました。
沸かしたお湯から湯気があがって、野菜に火が通ると鮮やかになっていく様子に胸が踊りました。きれいに消えてしまった料理への楽しい気持ちが鮮やかに胸の中にありました。「やっぱり料理って楽しいなぁ」と感じたとき、何を感じているかわかることに深い安心を覚えました。
自分に向けた肯定の言葉「そうなんだね」が固まった心を完全に溶かしてくれたようでした。
自分にかけた言葉は他人からもかけられる
それからというもの「そうなんだね」と感じることをありのまま認めてあげるように心がけていました。そうしていると面白いことがありました。周りの態度が変わったのです。
例えばこんなことがありました。職場で「あぁ言えばこういう」人がいました。部署が違うのですが、なかなかこちらの状況を話しても伝わらず「この人に何かをわかってもらうのはかなり難しそうだ」と感じていました。「仕事がうまく進めば問題ないし」と思いつつ、わかってもらえないことに多少のストレスも感じていました。
イベントの準備のやりとりで行き違いがあったときのことです。こちらの事情を伝えて、また何か反論されるんだろうなと思って心の準備をしていました。
相手が言った言葉は予想外の「そうだよね」という言葉でした。私の言ったことに対して同意してくたのです。これには正直驚きました。自分に「そうなんだね」「そうだよね」って声をかけられるようになったら周りもそうやって声をかけてくれるようになったのです。
人生が動き出すとき
心が無感覚になるときは、小さな本音を無視してしまっているのかもしれません。どんなに小さな声でもなかったことにしてしまえば否定されたのと同じことだからです。
無感覚になっているということは、本音を無視するという自分自身への攻撃に対する精一杯の防衛なのかもしれません。そんなときに、「そうなんだね」とありのままを聴いてあげることができたら、まるで心の温泉に入っているように心は回復し、人生は鮮やかに動き出すのだと思いました。