「最近ついてない」と悲しくなった時に試したい現実を変える方法
この記事の目次
「ついてないなぁ。」から始まった憂鬱
いつも通り会社から最寄駅に向かって歩いていた時のことです。だんだん雲行きが怪しくなってきました。いまにも雨が降りそうで嫌な予感がしました。早足で駅に向かいましたが途中で降り出して、傘を持っていなかった私は濡れてしまいました。
その日はいつもより30分残業になってしまった日でした。残業さえなければ濡れずに家まで帰れたかもしれないのです。そのことを思うとなんだか憂鬱になってきました。いろんなことの歯車がうまく噛み合わない感じでした。
うまくいかない人生が悲しい
その頃、仕事でうまくいかないことが立て続けにあり、閉塞感を感じていました。うまくいかない現実と自分自身に悲しくなっていました。
先方からなかなか返事が返ってこなかったり、注文の数が落ちたりしていました。その状況がしばらく続いたので雨の日に始まった憂鬱さと悲しみがしばらくつきまとっていました。
この状況を変えたいと思いつつ「どうせうまくいかない」という確信に近い諦めがありました。「うまくいかないのは自分に合ってる」と感じていました。何かがうまくいくことなんて夢物語だという気分でした。
悲しみが作りだす自己否定
周りにうまくいく人がいると「周りのみんなはどんどん変わっていくのに、私だけずっとここで置いてきぼりになるのかぁ」なんて気がしていました。
「うまくいく人には価値があって、うまくいかない自分には価値がない」と否定感を積み重ねていました。
この否定感が心の奥で積み重なり、切り傷が痛むような悲しみに涙することもありました。
うまくいかない現実に悲しみ、その悲しみが心の中で「やっぱり自分はうまくいくはずなんかない」と自己否定をしていたのです。
悲しみのクリアリングで自覚した母への思い
しばらくすると涙するほどだった悲しみが、なんだか実感が薄くなってきて、無感覚のような状態になりました。実は悲しかったのなんて勘違いで、もうクリアになってしまったんじゃないかと思うほどでした。
でも意識を向け続けているとなんとなく重さは残っていて確かにまだある感じがしました。状況をなんとか変えたいと思っていたので感情のクリアリングを行いました。
クリアリングをはじめて、感情を眺めていると、それは時に怒りになり、悲しみになり揺れていました。
感情のクリアリングをした後、感情のタネが見つかりました。コーヒーゼリーを雑にスプーンですくったような形のものと、巻貝のような形をしたものでした。
次に、感情の種をクリアリングしました。コーヒーゼリーのような種は、しばらくしてピラミッドのような形に変化してから消えいきました。消えた後は何故か、「ぽつん。」とひとりぼっちになったような感覚がしました。続いて、巻貝のような形をした種もクリアリングしました。こちらはすぐに砂のようになって消えていきました。
種のクリアリングをしているとふと母のことを思い出しました。それは幼い頃、母に怒られていた時のことです。私は母に怒られると、「なんで怒ってるんだろう」と理由がイマイチわからなくて困惑したり、母の質問に「なんて答えたらいいんだろう」と戸惑って黙ってしまうことが多かったものです。
そんな時に「〇〇って思ってるんでしょ」と決め付けられたり「人のことバカにしてるんでしょ!」となどとよく言われました。「そんなことないよ。」といくら言っても伝わらないので、「私がいくら頑張って伝えてもどうせわかってもらえないんだ」という感じで、母と心が通うことはない現実に悲しくなったことをふと思い出しました。
その時に「どうせダメなんだ」という感覚や大きな悲しみがあったことが実感とともに蘇ってきました。
かつてどんなに頑張ってもどうにもならなかったことを思い出すと涙が止まらなくなりました。傷口に塩を塗り込むような辛さがありました。そして「こんなに悲しんでいたんだ…。」と自分で驚きました。
次の日、その悲しみが少し残ったまま会社に行きました。
時折、無性に悲しくなって涙が出そうになりました。そんな時は仕事の合間にトイレに行って泣きました。感動して泣いた時のようなスッキリした涙を何度か流しました。涙とともに今まで幾度となくためていた悲しみが流れていくのを感じました。
内面がつくっていた現実
悲しみが涙とともに流れて行った後は、現実がうまくいくことが信じられるような気がしてきました。
「どうせうまくいかない」「どうせよくならない」という感覚がいつの間にか弱くなって、「なんとかなるかもしれない」というポジティブな感覚を持つようになりました。
そして自然と現実のポジティブなところにも目がいくようになりました。
その状態になって初めて実感したことがありました。それはネガティブな自作自演のループの中にいたことです。
幼少期に母との関係が原因で積み重ねた悲しみが「自分はどうせうまくいかない」とネガティブな感覚をつくりました。
その感覚のまま現実を見ることはうまくいかないの現実に無意識にフォーカスして「やっぱりうまくいかない」「自分にうまくいく価値がない」と証明して、納得することでした。
私はうまくいくことを願いながら、ついていない現実に無意識に目を向けて、うまくいかない自分を演じていました。内面が現実を作るとは、まさにこのことでした。
現実のとらえ方の変化と満足感
会社のトイレで悲しみが涙とともに流れていった日、いつものように家に帰ってご飯を作りました。
その時にいつもと感覚が変わっていることに気がつきました。炊いたご飯をよそった時に、じんわり喜びが広がっていくのを感じました。なんとなくおいしそうに盛れた気がしたからです。そのことに小さな満足感を感じました。
それは映画で料理のシーンをみて、ご飯を作る時の音の1つひとつに「美味しそうだなぁ」と感動するような感覚でした。私の周りで時間がゆっくり丁寧に流れているように感じました。
それからなんとなく感覚が変わり、普段気に留めていなかった小さなことに満足感を感じるようになりました。例えば、コーヒーを飲む時に心から「美味しいなぁ」と感じたり、普通に呼吸しているときに「なんだか呼吸が心地いいなぁ」と感じたりしました。
そんな体験を積み重ねていたら、急に自分が恵まれているような気がしてきました。自分はもうすでにいろんなものを持っているという気分でした。
「ないもの」を数えていたのが「あるもの」を数えるようになって満足感を感じるようになったのです。
実際に変わった私の現実
現実のとらえ方が変わったことで感じた満足感を大切に生活するように心がけました。それから数日経った頃でしょうか。仕事をするときの感覚が変わっていきました。「これやって何になるんだろう」とか「早く結果を見たい」という気持ちが小さくなってくるのを感じました。
そして、結果に対してはいい意味で期待しないというか、積み重ねていけば形になると信頼感が湧いてきました。それまでは「私の未来を誰かに保証してほしい」と不安な気持ちもありましたが、それも気がついたら消えていました。
そうすると仕事での結果が変わりました。落ち込んでいた売り上げが少しづつ回復し、返事が返ってこなかった人から返事が返ってきて、仕事が進展することがありました。
現実が動いた時「内面が現実を作っているのだから、現実を変えたければ内面を変えればいいんだ」と実感しました。
まとめ
悲しみをクリアリングする前は「ついてないなぁ」と感じる状況にすぐに反応して自己否定を感じました。そして「やっぱりうまくいかない」と変に納得して自己否定を積み重ねていたのです。
悲しみがネガティブな現実のとらえ方や心理的な反応パターンの元になっていたということです。感情のクリアリングをすることで現実の見方が変わり、次第に現実も変わっていったのでした。
クリアリングをするだけで現実が変わるなんてなんだか魔法みたいだと思いませんか。
感情のクリアリングは現実を変えていくパワフルなツールなんだと実感したできごとでした。