抑圧した想いを感じることにより、仕事に行くのが楽になった話
この記事の目次
仕事に行きたくない想いが溢れ出す
ある月曜日の朝のことです。
「ピピピ ピピピ ピピピ」と目覚まし時計のアラームが鳴り響き、会社にいくために、起きなければならないことを知らせてきました。
いつもならば、「よし。いくか。」とスパッと布団から出ることが出来るのですが、この日は容易に起き上がれず。。
「何もしたくない。仕事に行きたくない。このままずっと寝ていたい。」という想いが溢れてきて布団の中でうずくまっていました。
今までも気分が乗らず、「仕事に行きたくない」と思う事はありましたが、この時のようなビッグウェーブは初めての経験。
自分の状態を客観的に見れてはいるものの、気を抜くとこの想いに飲み込まれてしまい、何も出来なくなりそうでした。
そして、ちらりと時計に目をやると、8時近くになっていて、(このままだと遅刻してしまうので)、気持ちを奮い立たせて起き上がり、会社に向かいました。
前日に、カウンセラー仲間との会話の中で、「仕事に行きたくない想いや、その想いに紐づく感情に蓋をして見ないようにしている」という気づきがあり、このことがきっかけとなって、今まで蓋をしていた想いに意識が向くようになったのかもしれません。
この日を境に、朝の起床時に「仕事に行きたくない」や「何もしたくない」という想いが出てくるようになり、スムーズに起き上がれない日が続きました。
仕事に行きたくない想いを無視してきたこと
私の職務内容や職場環境はブラックなものではなく、恵まれている方だと思います。
しかし、会社員として仕事をする上で、プレッシャーやストレスは多少なりとも存在するもの。
自分の疲労度や業務の仕掛り状況によっては、「仕事に行きたくない」と思うことがあっても自然なことです。
この「仕事に行きたくない」という想いを感じないようにして、仕事にいくことを続けていたため、その想いと、想いに紐づく感情が蓄積していました。
今までの会社員生活をふりかえると、、
社会人になってから18年、体調不良で休んだのは1、2回程度。
気分が優れないなどの理由で仕事を休むことなどは考えられず、その概念自体持ち合わせていませんでした。
体調が安定していて、休まずに会社に行き続けることができる、主観的に”強いと感じる自分”に、自己価値を感じてもいました。
そんなメンタリティだったので、自分の想いや感情を無視して、”機械人間”のように働いていたのです。
18年の間、「仕事に行きたくない」という想いを無視してきたため、蓄積した想いと感情のエネルギーは膨大な量になっていて、蓄積していた想いに気づいたことがきっかけとなり、溢れ出してきたのだと思います。
仕事に行きたくない想いのクリアリング
朝、目覚めたときから溢れ出てくる想いや感情を、感じ続けることにしました。
体感覚的には、みぞおちのあたりから、重苦しい塊が沸き上がってくる感じ。
この重苦しい感覚を感じ続けていると、次第に「仕事にいきたくない」、「何もしたくない」、「遊びに行きたい」などの想いが浮かび上がってきました。
これらの想いとともに怒りや悲しみの感情も一緒に出てきました。
感情の真っ只中で感じ続けるのはきつかったので、出てくる想いや感情から感覚的に距離をとり、耐えられる範囲で感じていきました。
それから、仕事に行きたくない想いや、やる気の出ない感覚を感じないようにするために、朝、コーヒーを飲んでいることに思い当たったので、やる気を出すことを目的にコーヒーを飲むことをやめました。
私は、カフェインに対する感受性が高い方なので、コーヒーを飲むと、一時的にテンションがあがり、ネガティブな想いを感じなくて済んだのです。
仕事に行きたくない想いや、やる気のなさを感じながらの通勤であるため、足取りは重く、のろのろと仕事に向かう日々が続きました。
テレワークの時などは、始業開始の5分前まで、布団の中で、うなっていることもありました。
そうすると、徐々に、仕事に行きたくない想いや、苦しさは減っていき、2ヶ月後くらいには、ほとんど出なくなっていきました。
また、「仕事に行きたくない」という自分の本音を捉えることにより、主観的に弱いと感じる自分を認めることにつながり、弱い自分でいることへの許容が広がってきたように思います。
自己理解を深める
なぜ、仕事に行きたくない想いを感じないようにして、仕事に行っていたのか?その理由に意識を向けてみました。
責任感や真面目さといった性分と、会社員として仕事を認められたいという意識もはたらいていたと思いますが、
一つの大きな要因として、感情や想いを感じないようにして(抑圧して)、意識の力で、自分を制御して行動する傾向があることに思いあたりました。
仕事以外でも、食べたいものを食べないとか、お腹が減っても食べずに我慢するなど、食の分野においても、抑圧はひどいものでした。
そして、自分の感情や想いを無視して、自分の理想とする振る舞いが出来ること、主観的に強いと感じる自分に、自己価値を置いていました。
さらに、なぜ自己価値をおいていたのか?その理由に意識を向けてみました。
3次元の世界において、多くの価値を生み出すためには、より多くの仕事を早くこなすことが有効な側面があります。
そのためには、疲れなどの感覚を切って、活動し続けられると便利です。
したがって、そのような活動が出来ることに価値があるという認識になっていたようでした。
このとりくみの最中、カウンセラー仲間から感情カウンセリングを受ける機会があったので、自分の本当の想いを抑圧する傾向が生まれた要因を深堀してもらいました。
怒りや悲しみの感情を感じてクリアリングしていくと、幼少期の父親との関係性に要因があることが見えてきました。
幼少期、近所の子供との人間関係で悩み、精神的に不安定になっていた時期があったのですが、自分の感じている辛い想いを押し殺して、父親の前では元気に振るまうようにしていたことが思い出されてきました。
「父親を心配させたくない」、「父親に認められるために、弱い自分を見せたくない」という意識がはたらいていたようです。
さらに、父親に対して、自分の本当の想いを表現しない傾向が生まれたのは、いつ頃なのか?意識を向けていくと、乳児期であったような感覚が出てきました。
父親に対して、泣いて意思表示をするなど、欲求を表現しても、受け入れてもらえない感覚が生まれていたようです。
当時、父親は仕事で悩んだり、忙しかったりして、精神的な余裕がなかったのだと思います。
子ども心に父親の顔色や反応から、父親の状態を察知していたのでしょう。
父親に対して、自分の本当の想いを抑圧して接するようになったことが、現在の抑圧傾向を生み出す、要因の一つになったようです。
取り組みを通じて改善したこと
今までは、仕事に行きたくない想いや疲れを感じないようにして、仕事に行っていたので、常に心や身体が張り詰めた感覚があり、精神的に余裕が少ない感じでした。
現在は、想いや感情を出来るだけ抑圧しないようにしているため、疲れている時は、疲れを感じ、気分が落ち込んでいる時は、落ち込みを感じ、というふうに、ありのままの自分を感じながら(承認しながら)生きていけています。
ネガティヴな想いや感情が出てきている時は、仕事に取り組みづらいと感じる時もありますが、自然体でいられるためか、以前よりも心に余裕がもてるようになってきました。
また、仕事を休むことへの許容が広がり、自分の思いを満たすため(平日しかやっていないお店にランチを食べにいくなど)に、有給休暇をとることを行いやすくなりました。
そうすると、仕事はつらいものという認識が変化し、同じ仕事をする場合においても、以前よりも楽しさが増し、自然にやる気が出てくるのを感じています。
まとめ
自分が極度の抑圧状態であることに気づいたことにより、感じないようにして蓄積していた、「仕事に行きたくない」想いと紐づく感情が溢れ出してきました。
それを感じ続けることにより、想いと感情の解消が進み、仕事に行くのがとても楽になりました。
そして、想いや感情を抑圧する要因への理解が進んだことにより、その傾向が軽減し、自分の想いを素直に受け入れながら、生きられるようになってきました。
会社員として、働いていると、色々感じたくない想いや感情が出てくることもあると思います。
しかし、それらを感じないようにしていると、蓄積していき、閾値を超えると溢れ出してきて、生活に支障をきたす恐れもあります。
ネガティブな想いや感情を感じるのはつらいかもしれませんが、それらがあることを認め、自分の本当の想いに寄り添う時間をもって頂けたらと思います。
高校時代より、人と自然体で接することができず、社会の中で人と交わり生きていくことに、強い不安と苦しさを感じていました。この生きづらさを解消する道を模索する中で感情カウンセリングと出会い、人として生きる喜び・楽しさを味わえるようになりました。
現在は自己の体験を活かして、人が自分らしさを発揮し、自由に人生を創るサポートを行っています。