生きることを拒否する気持ちの正体 

こんにちは。山田結子です。

最近、寒くなってきました。昨年はメダカを室内で飼っていましたが、今年は室外に出しました。メダカは室外で飼うと冬眠するようなので、その準備をしています。水温計で水温をチェックしたり、水槽を緩衝材で巻いたり。ここ数週間、メダカはあまり水面に上がってこなくなりました。冬の到来を感じています。

 

さて、今回の話題です。

先日、体を動かすワークをしていました。その時に、生きることへの拒否感というものを感じました。漠然としていて、詳細はわからなかったのですが、生きることを拒むような感覚でした。深いレベルのインナーチャイルドなどが出てきたのかもしれないと思いました。その感覚をテーマに、「生きることを拒否する気持ちの正体」として、見ていこうと思います。

 

 

まず、その感覚を俯瞰して捉えると、破壊的な感覚を伴っていました。その破壊の感覚が強く、意識を向けただけで飲み込まれそうな強さがありました。少し距離を置きつつ、破壊的な感覚を見つめてみました。しばらくすると、黒い塊が出てくるように見えたり、そこから人が見えるなど、いくつかのイメージが交錯して見えていました。そのイメージを見つめていると、死は恐ろしいものであり、それを支配したいという願望が見えてきました。

しかし、死を支配しようとする意図をいまいち理解できません。このまま進めても良いのですが、なんのためにそうしたいのか、少し掘り下げてみます。

具体的に内容を見ていくと、大切な人を生かすため、死に抗うためなど、医療者が持ちやすい目線が近いようでした。死に対抗するような気持ちのようです。死と戦い、いずれ攻略するようなイメージでしょうか。

最近読んだ資料に、外部環境をコントロールしようとするインナーチャイルドがあると知りました。外部環境を徹底的にコントロールして、安心感を得ようとする傾向です。死を攻略しようとするというのは、そういう感じなのかもしれません。

しばらく観察を続けました。

 

続けていると、次第に怖れが沸き上がってきました。感情の処理を続けていくと、全身が強ばるような、硬直するような強い怒りが表面化してきました。あまりにも強い怒りに、上半身がビリビリするように感じました。恐怖と怒りが混ざり合ってるような感じもあり、処理を進めようとするものの、エネルギーにねっとりした粘り気があって、進めにくい感じもしました。

気持ち悪さや重たさもありながら、処理を進めていくと、徐々に体が軽くなってきました。まだエネルギーがまとわりついていて、それは怖れのようでした。しばらく続けても、なかなか処理が進みません。そこで、怖れ以外のものが混ざっているのではないかと思いつきました。他の要素に目を向けてみます。

体の中央部分に意識を向けて、感情を探ってみました。

 

 

すると、悲しみが出てきました。悲しみと向き合わないように、恐怖心と怒りでカバーしていたようでした。悲しみをしっかり感じることにフォーカスしてみました。悲しみに意識を向けると、初めは亡くなった人たちのイメージが湧いてきました。

亡くなった身内のイメージや知人の死のイメージがいくつか見えてきました。愛犬が亡くなった時のショックがかなり大きかったことも、思い出されてきました。犬がいなくなった後、それまで耐えられていたことが、耐えられなくなったように思います。自分よりも弱いものが亡くなるという体験は、想像以上に大きいのかもしれません。

深呼吸を維持しつつ、悲しみに意識を向け続けると、今度は死ではないイメージが混ざってきました。建て替える前の自宅で過ごしている時の私でした。楽しそうにしています。昔の自宅のイメージを見ていて、家を立て替える前後で、変化があったのかもしれないと思えてきました。

改めて振り返ってみると、家は火災にあって建て替えています。火災にあったことは、重大なことではないように思えていますが、実はあの体験が私に大きな影響をもたらしているのではないかと直感しました。

当時のことを振り返ってみると、私は中学生でした。

授業中、先生から呼び出され、家が火災にあっているから帰りなさいと言われました。その結果、私だけが黒煙が舞い上がる自宅を見ることになりました。弟は授業が終わってから帰され、母は買い物した生鮮を近所に預けていたので、到着が遅くなりました。父と私が比較的早く帰ってきたように記憶しています。

家の向かいの事業者がガソリンや有機溶剤などを保管していて、それらに引火したのが火災の原因でした。黒煙は一般の火事とは異なり、黒くて化学薬品のような匂いがしました。はじめは事業者の事務所が燃えていて、細い道に駐車してあった車に引火し、向かいにあった自宅に燃え移ったようでした。

自宅で飼いはじめたばかりの犬は生きていました。家族も全員外出中で、家に居なかったので、怪我もなく終わりました。

翌日、火災のことが新聞に掲載されたことを今でも覚えています。

 

 

この一連の出来事を感じなおしてみると、家族が強力な喪失感を抱いていたことに気づきました。特に母親は小学生の時から住んでいた家を失ったのです。また、「自分がその場にいて何もできなかった」「なすすべがない」「わかっているのにネガティブな体験を避けられない」という経験は強いインナーチャイルドを生み出すと言われています。

一般的な感覚では、この体験は私に強いインナーチャイルドを植え付けられるような体験だったように感じます。そして、家を失うという体験から、これまでのアイデンティティを失うような感覚や喪失感もあったのではないかと推測できます。

思い切って、引っ越しをして新しい地区でスタートする方が良かったのかもしれないと思うほどです。しかし、土地を購入したばかりだったので、私の両親も思い切った選択ができなかったのでしょう。家を建て直して、私たち家族はそこに住み続けました。

改めて感情を見ていくと、一連の出来事に対して強い怖れを感じます。突然問題が起きたり、予想もしなかったことが起こるということが当たり前になってしまったような気もします。苦しいという思いがポツンと出てきました。この体験によって、生きることに強い怖れを感じるようになりました。生きることがすごく難しいことに感じられて、社会の中で生きることが厳しいことだと感じられるようになりました。

当時のクラスメイトは、家に保険金が降りたのかどうかを知りたがりました。私にはどうでも良いことで、よく知らないと答えました。彼らは面白おかしく、保険金が欲しくて自分たちで家に火をつけたんじゃないかと言っているように思えました。心ない人たちも学校にいました。

 

 

ここまで感じてみて、私が周囲の人に心を閉ざしたのは、これがきっかけのように思えてきました。私の気持ちは誰にもわかってもらえないという思いです。私の家がどんな状態だったとしても、彼らには関係なかったし、私もそれを積極的に話そうとは思いませんでした。噂が風化するのを待つ姿勢でいました。

周囲の人たちに理解してもらおうとするのをやめようと思うことで、自分の悲しみや怖さ、辛さを封じ込めてしまったのかもしれません。それを認めてしまったら、自分が弱い人間だと感じてしまい、普通に生活していくこともできなくなると思っていました。

そこまで理解が進むと、はじめに出てきた死に対する感覚に違和感があるように思えてきました。なぜ、死に対してそこまで強い意識があったのでしょうか。

ひとつ、思い当たるのは、この火事は祖父が亡くなってから数ヶ月くらいの出来事だったのです。

実は、祖父が亡くなったことで、私になんらかの変化があったのでしょうか。当時の感覚に意識を向けてみると、冷たい感じがしてきました。私は祖父の死には立ち会っていません。ただ、電話で祖父が亡くなったと聞きました。その時、ものすごく強い怖れを感じたようでした。死を克服しなくてはならない、負けてはならないと、感じていました。

そして、強さを試すかのように家が火災にあい、自分の弱さを見ないようにすると決めてしまったのでした。祖父が亡くなった時から、少しずつ気持ちが強さへの渇望へ向かっていたことが理解できました。

 

 

全体像が見えたところで、当時の私は弱かったのでしょうか。この体験によって、私は人を頼ることができなくなりました。なんでも自分で乗り越えなくてはならず、他人からの心ない言葉を無視し、怒りと恐れをもって、社会に立ち向かっていけるようにならなくてはと思うようになりました。

思いなおすと、私なりに努力していたことを受け入れられてきました。努力に上限があって良いのだとも感じられてきました。これまで、そんな風に感じたことはなかったかもしれません。限界は突破するものだくらいにしか考えていませんでした。でもそれは、本当の強さではなかったのかもしれません。

じっくりと湧き上がるものを感じていくと、子供のイメージが見えてきました。インナーチャイルドでしょうか。そのまま何もせずに受け入れると、深い安堵感が広がってきました。悲しみと不安が入り混じったような子供の声が聞こえてくるような感じがしました。

私のインナーチャイルドは、あの火事現場に置き去りにされていたのでしょうか。私の時間は止まったまま、現在を生きていたのかもしれません。

あらためて、生きることへの拒否感をみなおすと、その存在は感じられなくなっていました。あの時の体験は忘れていないものの、生きることをイメージしたときに、生きることにあまり努力は必要ないように感じられてきました。

ようやく、生き延びるために生きる‥という価値観を見直せる時がきたのかもしれません。今後は私が幸せでいるために、努力する生き方を身につけていきたいと思います。

 

今回の気づきを得て、トラウマに対する理解を深めることで、感情との関わりを知り、インナーチャイルドの発見をはやめるという良い循環を意識することができました。少しずつ、心の理解を深めるための知識も増やしていこうと思います。

そして、読んだあなたにも、たくさんの気づきがありますように。

自己探求&感情カウンセラー 山田結子

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