旅行先での忘れ物。「やってしまった、、」と自己否定的になった時の対処法
こんにちは。
感情カウンセラーの山田純平です。
少し前に沖縄に旅行にいきました。すでに梅雨も明けていて、とっても「夏!!」していました。
そんな暑い日中も旅行中は、ずっとネックレスをしていました。
お気に入りのネックレスで、いつも丁寧に扱っていたのですが、旅行の最終日はしませんでした。
というか、ワインを飲みすぎたせいか?遅くまで起きていたせいか?分かりませんが、すっぽりとネックレスの事が頭から抜けていました。
宿泊先の部屋を出る前に丁寧に忘れ物チェックをしてから、チェックアウトしたのですが、ネックレスは目に入らずにスルーしていました。
その後、バス停でバスを待っている時に、「あれ?ネックレスがない!!」と気づきました。
しかし、取りに戻るにも部屋のキーは返却ボックスの中に入れてあり、タイミングの悪いことに受付の人もいませんでした。
フライトの時刻を考えると、電話で問い合わせして、宿泊先のスタッフに来てもらい、ネックレスを探している余裕はありませんでした。
念の為、かばんをくまなく探したのですが、やはりネックレスは見つからず、しぶしぶバスに乗りました。
バスの中で宿泊先に連絡して、ネックレスを忘れたことを伝え、探してもらうようお願いしました。
ただ、その後も「ヤバい、ヤバい、、」という感じで、忘れ物をした自分を責めて、怖れと不安が強くなっていきました。
昨日の夕方までネックレスはしており、その後は1度お水を買いに行っただけです。
なので、宿泊先にネックレスがある可能性はとても高い訳です。
でも、不安と怖れが収まらないので、感情のクリアリングをすることにしました。
この記事の目次
忘れ物をしたダメ人間のような感覚
バスの中では「どうしよう、見つかるかな。」という不安がどんどん出ていました。
心配してもどうしようもない事は分かっているのですが、こういう時は不安がどんどん出るものです。
なんだかとても悪いことをしたような罪悪感も出てきて、心の中がごちゃごちゃしてきました。
また、「忘れ物をするのは良くないこと」という思考も出てきて、ネックレスを忘れてしまった自分はダメな人間のように思えてきました。
そう思いたくないため、何度もかばんの中を探してしまいました。
ちょっとした不注意なのですが、旅の締めくくりとして最悪な気分にもなってきました。
「終わりよければ全て善し」という言葉がありますが、その逆ですね。
後味が悪い旅行になってしまった感じです。
気分一つで旅行の印象が大きく変わるものですね。
「忘れ物をすると怒られる。」のが嫌だった。
忘れ物は悪い事という認識が強くあり、いつも忘れ物をしないように意識を使っていたように思います。
忘れて困るものは限られていますし、その場で対応できることもあります。
でも、忘れた時点でダメな奴、というレッテルが貼られるかのように思っていました。
小学校でも忘れ物をすると、取りに帰らされたり、怒られたりしていました。
忘れたら影響が大きいものもありますが、ぞうきんを忘れても特に支障はないでしょう。
でも、忘れ物をすると大抵は怒られます。心配されたこともなかったように思います。
忘れるにしても、その日は眠たかったり、疲れていたり、など原因があるものです。
それを聞かれることもなく、「なぜ忘れたの?」と聞かれると、自分がとても悪いことをした、ダメな人のように感じていました。
「眠たかったから忘れた。」というのが正しくても
そう言った時の先生の反応を考えると、素直に言えない雰囲気でした。
子供なんだから忘れることがあるのが普通でしょう。
小学校6年間で忘れ物は全くない。ということもあるでしょうか。
「子供にそんなハイレベルを求めるなよ!!」という気持ちも湧いてきました。
そう考えると、忘れ物に対する先生の受容度が足りていないようにも感じます。
決まったルールを守れないとダメ!!という発想で教育されても子供としては困ります。
また、自分の事よりも、ルールが重視されている感じがして、とても寂しく思っていました。
ネックレスを忘れた時の罪悪感、自己否定感を感じる。
このまま心が不安定なままだと辛いので、ネックレスを忘れた時の罪悪感や否定感を感じていきました。
胸の辺りがきゅーっと苦しくなる感じがしていましたが、それを意識的に感じていくことをしました。
胸が張り裂けそうな感じもして、逃げたくなる気持ちも出てきましたが、逃げてもこの辛い感じがなくならないと思い、粘って感じていきました。
感じている時も、「忘れ物なんかして、ダメだな俺は。」などという思いが出てきましたが、それも一緒に感じるようにしていきました。
どんどんと自己否定的な発想や思いが出てきましたが、それも流さずに感じるようにしていきました。
胸の辺りがどんどんと辛くなっていきましたが、めげずに続けていると、徐々に楽になってきました。
感じ続けることで、胸の重苦しい感じが減ってきて、消化されていく感じがします。
重苦しい感じがなくなるまで感じ続けて、今回の感情のクリアリングは終わりました。
忘れ物自体は悪くない。
単純に「忘れ物をすることは良くない。」と思っていたのですが、小さな頃から刷り込まれたもののように感じてきました。
そういえば、小学校に入るまでは忘れ物で親に怒られたことはなかったと思います。
小学校に入り、授業で使うものを忘れると良くないという教育がされたのでしょう。
ハンカチは別に忘れてもいいと思いますが、決められたものは全て持ってくるのがルールのようになっていました。
学校が決めた基準ですが、持ってくるものによって重要度は違うように思います。
でも、そんな判断はなく、忘れ物をしたら先生に怒られるという構図だったので、忘れ物をすること自体が悪いことだと深く思ってしまっていたのでしょう。
教科書も忘れたら隣の人のものを見せてもらえばいいだけです。
忘れないほうが良いとは思いますが、過度に忘れ物への罪悪感を植え付けられたされたように思います。
「あー、忘れたか。」という楽観的な感覚が出てきた。
今回の感情のクリアリングで、「忘れ物をするのは良くないこと。」という固定観念が少し軽くなり、問題がなければ、どっちでもいい感じがしてきました。
忘れて問題があるかどうか?が大事であって、忘れるという行為自体は、どちらでもいいのかもしれません。
忘れ物だけでなく、ど忘れやなども同様の傾向があるように思います。
また、忘れるということが「悪」のような世間一般のイメージも強いのだろうと思います。
忘れても現実で何も問題ないことはたくさんあります。
もっと「忘れる」ことへの受容度を上げたいと思います。
忘れ物をしても、自己否定感が減った。
その後、忘れ物はしていないのですが、仕事のタスクをど忘れすることはありました。
少し胸の辺りがざわつきましたが、「やっちまった!!」という強い感情の起伏はありませんでした。
忘れることへの悪い意味付けが減ったのだと思います。
また、忘れることは良くないと思って、頑張って覚えていることもあるような気がしてきたので、現実に影響のないことは、無理しないようにしていきたいと思います。
まとめ
忘れ物をすることから出てきた罪悪感や自己否定感。
その思いをクリアリングすることで、忘れることへの悪い意味付の発見があり、少し手放すことができました。
忘れても開き直る訳ではないですが、問題ない時はフラットな気持ちでいたいですね。
「あ、忘れたな。」くらいの軽さで忘れることを許容していきたいと思います。
今回のように、感情のクリアリングをすることで、出てきた感情の奥にある原因を発見しやすくなります。
そして、それを改善したり手放したりすることで、日常のストレスが減っていきます。
コツコツ感情と向き合って、クリアリングする時は辛い感じがしますが、その先にあるギフトを受け取ることで、より良い未来を創造しやすくなります。
不快な感情も、自分の改善点を見せてくれると思えば、ちょっといい奴に見えてきますね。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。