ワーママこそ、自分軸で生きよう! 

育児喪中の9年間

わたしは、息子が生まれてから9年間、”育児喪中”でした。

 

この話をするといつも「”育児喪中”ってなに?」と笑われます。

「子供のことを第一に、自分の好きなことを我慢して身を謹んで暮らすこと」を、私はそう名づけていました。

 

「喪中」なんて言葉を使うとは、子供にとっては、ひどく迷惑な母親だったと思います。

「あなたが生まれたから、お母さんは自分の好きなことを我慢して喪に服します」だなんて。

 

もちろんそんなことを一度も口にしたことはありませんが、息子にも伝わっていたと思います。

そして、そんなことを考えている母親の子供が自己肯定感を高められるはずもありません。

 

では私は、この9年間、どのような日々を送ってきたのでしょうか。

 

自分の「好き」より家族の「好き」を優先に

当時の私は、いつも自分の「好き」を我慢して、家族や子供の「好き」を優先していました。

 

でも、本当の私がやりたかったこと、好きなこととは何だったのでしょうか。

 

産休が明けてからも、出産前と同様にプロジェクトマネージャーとしてバリバリ仕事をしたかった。

前職と同様に、今の会社でもグローバル案件に参画して、海外出張にも行きたかった。

月2~3回の茶道のお稽古にも、心おきなく行きたかった。

平日も、時には友達と食事に行って、おしゃべりをして羽を伸ばしたかった。

 

しかし子供が生まれて私の生活は一変しました。

 

保育園・幼稚園・学童の送り迎えは私の担当で、夕方以降にミーティングは入れられず、出張のあるプロジェクトは、ほとんど断っていました。

始発の新幹線で大阪に行き、15時に新幹線に飛び乗り18時のお迎え行くという生活を半年近く続けたこともありました。

海外出張も断念し、仕事の前線から外れたような気がしていました。

さらに、週末くらいは子供と一緒に過ごしたい、いや、過ごさねばならないと考えて、週末の茶道のお稽古にも、あまり行けなくなっていました。

たまに夫に子供をまかせてお稽古に行っても、子供を置いて自分の好きなことをやっていることが後ろめたくて、心から楽しめませんでした。

親友から食事に誘われても、大半がお断りでした。

 

もちろん、子供と共に過ごして、日々の成長を目の当たりにすることは楽しくかけがえのないものでしたが、子供から離れて自分の好きなことをしようとすると、「自分の100%を子供に捧げていない、だめな母親なのではないか」という後ろめたさが常につきまとっていたのです。

 

 

二つの呪縛

なぜ私は9年もの間、育児喪中から抜け出せないでいたのでしょうか。

 

それには二つの呪縛(固定観念)が大きく影響をしていました。

 

一つ目の呪縛は、「三歳児神話」(子供が3歳になるまでは母親が自ら子供を育てるべきであるという考え方)です。

私自身は、専業主婦の母親のもとで育ち、父母は「幼い頃から保育園に預けるなんて子供がかわいそう」ということを口にしていました。

 

ワーキングマザーが7割を超えた今では、なんとも時代錯誤の考え方です。

息子の出産前に父母は他界していたにもかかわらず、私はその考えにずっと縛られていました。

 

二つ目の呪縛は、夫の価値観でした。

夫は「結婚後は、仕事は続けても辞めても、好きにすればいい」と、私の働くことを許容してくれていました。

しかし出産後、何かの折に「自分の稼ぎだけでうちの家計はやっていけるのに、お前は自分のエゴのために働いている」と言われたことがありました。

この言葉は、ことある毎に私の心をざわめかせました。

何かあると「私は自分のエゴのために働いている。そのために息子は○○をしてもらえなくてかわいそうだ」と自分を責めていたのです。

 

夫の言葉は、両親から受け継いだ価値観に輪をかけて私を縛っていました。

 

 

呪縛からの解放

感情の取り扱いを学ぶ中で、私は二つの呪縛(固定観念)の解消に取り組みました。

 

一つ目の固定観念については、「保育園に通う子供は本当にかわいそうなのか?」と自分に問いかけて、保育園に通うメリット、デメリットをできる限り多く挙げて、その時に出てくる感情を一つ一つ感じていきました。

 

例えばこんなメリットが出てきました。

うちは一人息子だから、保育園に行くことで、兄弟姉妹と接するような疑似体験ができていい。

母親と二人っきりで長い時間を過ごす代わりに、保育園の先生方にいろいろな生活のルールを教えてもらえてよい。

母親が家で一人で子育てしているとイラっとしてしまうことでも、保育園の先生方は大きな視点で見てくれるから、子供は伸び伸びと育つだろう。

「三歳児神話」には、科学的論拠がないことも知りました。

 

こうして考えてみると、私は物事の一つの側面しか見ずに、それを強い固定観念にして、自分を縛っていたのです。

 

二つ目は「私が働くことは私のエゴのためであり、いけないことなのか?」という問いかけです。

 

もし専業主婦になっても、私は家事が特段に好きというわけではないので、家にずっといると子供に当たってしまうかもしれない。

子供が全てになってしまい、子供の成果を自分の成果であるかのようにはきちがえてしまい、子供によりよい成果を出させようと過干渉になってしまうかもしれない。

一方で私が働いていれば、コンサルタントとしての仕事の話、同僚の話などを子供にすることができ、子供は社会のリアリティを垣間見て視野を広められるかもしれない。

母親が自分の好きな仕事をして生き生きとしていれば、子供にもそれは伝わり、家庭の雰囲気も明るくなるかもしれない。

 

でき得る限り多くの視点を挙げて、そこで沸いてくる感情を感じてみました。

 

 

他人軸で生きてきた自分への気づき

自分の固定観念とそれにまつわる感情に向き合ってみると、私は長い間、他人の価値観で生きてきたことに気づきました。

 

一つ目の「保育園に預けられる子供はかわいそう」という価値観は、他界した父母のものでした。

もし二人が健在ならば、「昔と今とでは時代が違う」とか、「私はこの仕事が好きだから働き続けたい」とか言って反論することもできたでしょうが、反論する相手がいないということも、私をこの価値観に縛りつけていました。

父母の価値観を守って「いい娘」であり続けることが、父母への恩返しであるかのように私は感じていたのです。

 

二つ目の「自分のエゴのために働いている」という価値観は、夫のものでした。

結婚するまでは、父母の価値観を自分の価値観の一部として生きてきた私が、結婚後は、さらに夫の価値観も加えていったのです。
父母の考えていた母親像、夫の考える母親像、妻像が正しいものであり、それに従って生きようとすることで、自分が本当はどうしたいのかの声には耳を傾けられなくなっていました。

仕事、子育てと、それなりにうまく両立している風を装いながらも、今考えると、本当の意味で自分の人生を生きていなかったのです。

 

 

自分の「好き」を大切にする

これらの価値観を手放すために、まず私は自分の好きなことをやろうと決めました。

 

例えば、週末にお茶のお稽古に行きたいとします。

息子には「今週末のお茶のお稽古に一緒に行く? それとも家でお留守番する?」と問いかけます。

そこで息子が「家で留守番をする」と言ったら、あとはお稽古を目いっぱい楽しもうと決めるのです。

 

以前の私は、一人でお稽古に行くと決めても、その道すがらも、お点前をしながらも、息子が家で大丈夫だろうかと常に気にしていました。

 

でも、10歳の息子が自分の好きを選んだのだから、それを信頼して、私も自分の好きを精一杯楽しもうと思えるようになりました。

そうすると、一人でお稽古に行く時は心穏やかにお点前をしてリフレッシュできるし、息子が一緒の時はお茶の点て方を教えたりして、それはそれで楽しいのです。

 

 

子供の「好き」も大切にできるようになる

私が自分の「好き」を大切にするようになると、息子との関わり方も変わってきました。

 

以前は、「週末にどこに行きたい?」と聞いても、息子は「お父さんとお母さんは、どこに行きたい?」と答え、大抵は夫が提案する場所に行くというのが我が家の通例でした。

しかし、最近は息子に問いかけた後、その答えをじっくり待つようにしています。

すると先日は「海釣り」という今までやったことのないアイデアが出てきたりして、息子も自分の「好き」に耳を傾けられるようになってきた気がします。

 

先日、息子と二人で旅行に行った時のことです。

今までの旅行では「夜は20時までに寝なければいけない」という夫のルールに縛られていましたが、今回は、私と息子の好きを大事にしようと決めました。

いつもならあきらめる夜のイベントに参加したり、ビュッフェでは息子の好きなものを好きなように取らせてあげたり(以前は夫が「バランスのよい食事が大事」と食べる品も決めて皿にのせてあげていました)自由を満喫できて、とても解放的な気分を味わいました。

 

自分の「好き」を大切にするようになると、子供の「好き」にも耳を傾ける余裕が出てきたのです。

 

 

あなたの「好き」を思い出そう!!

私は、息子が生まれてから9年間、母親というものは、常に子供のことを最優先にして、自分の好きなことは我慢しなければならないと考えて「育児喪中」の時を過ごしてきました。

 

しかしこの数年、感情の取り扱いを学び、感情のわだかまりを解消していく中で、自分が固定観念に縛られてがんじがらめになっていたことに気づきました。

さらに、その固定観念は私自身のものではなく、父母や夫のものであり、「今」の私が選んだものではないと思い至ったのです。

 

最近、会社のワーキングマザー・コミュニティで後輩ママたちにお話をする機会が何度かありますが、そこでもよくこんな声を聞きます。

 

「夫は忙しいので、保育園の送り迎えは私の担当だけど、急に残業が入ることもあるし、すごく大変。
でもシッターさんを使うことに夫がいい顔をしないので、お願いできないんです。」

「出産後は、子供の突然の病気などで会社に迷惑をかけるのではないかと心配で、バックオフィスに移りました。
でも本当は、以前と同じように営業職としてバリバリ働きたいと思っています。」

 

まるで昔の私を見ているかのようでした。

自分ではない誰かの価値観に縛られて「こうあらねば」という型に自分をはめて、なんと不自由な生活を送っていることでしょう。

 

そんなママたちに私は「あなたは本当はどうしたいの?」と問いかけます。

 

もちろんワーキングマザーには様々な制約もありますが、一人一人が自分の“好き“を見失わないで、もっと自由になるお手伝いができればと思っています。

 

私も9年間の育児喪中を明けられたのだから、あなたにもきっとできると信じています。

上に戻る