子育てにおける感情コントロール方法
この記事の目次
感情コントロール
「どうしたら子育て中のイライラをコントロールできますか?」
こんなご相談をよく受けます。
特に忙しく働くママたちの多くは、いつもどうやって効率的に家事や子育てをこなそうかと考えています。
なので、自分の感情も仕事のようにコントロールできたらどんなに楽かと思っているようです。
実は、私も感情カウンセラーになるまでは、感情を感じることがとても苦手でした。
子供へのイライラが出てきても、母親はそんな感情を持ってはダメと、常にそれを否定していました。
きっと人間的に成熟すれば、何が起きても感情が波立たない状態になるはず。
私はまだ修練が足りない未熟者なので、そうした境地に至れていないのだろうと、修行僧(笑)のようなことを考えていました。
でも考えてみると、自分の中に湧き上がってくる感情も、自分の一部ですよね?
つまり、出てきた感情をないことにしていた当時の私は、相当な自己否定を続けていたことになります。
今回は、そんな私が感情を感じられるようになるまでのプロセスをお伝えしたいと思います。
早く、早く!
子育ては、とかくままならないもの。
特にお子さんが小さい頃は、お子さんがママの思うように動いてくれなくて、カーっとなって子供を叱りたくなることって、ありますよね?
もちろん、私にもそんな経験はありました。
息子が保育園に通っていた頃、私にとっては、特に帰宅後が毎日時間との戦いでした。
夫は、子供を夜8時に寝かせなければならないという固定観念を持っている人でした。
自分が幼い頃から夜8時には必ず寝なさいとしつけられてきたからのようです。
専業主婦の義母には、それが可能だったのかもしれません。
でも働いている私が5時半に息子を迎えて帰宅し、それから2時間ほどで子供に夕食を食べさせて、お風呂に入れて寝かせることは至難の業でした。
しかし当時の私は頑なにそのルールを守ろうと努力し続けていました。
だから、息子が自分の考えるペースで動いてくれないと、イライラして「早く、早く!」と急かしていました。
今の私であれば、8時に寝かしつけるというルールなんて気にしなくていいと思えますが、当時の私は、子供を保育園に預けて働いていることへの後ろめたさから、そのルールを必死に守ろうとしていたのです。
義母からは、幼い子供を保育園に預けて母親が働きに行くなんてかわいそうと言われていましたし、そのルールを守りさえすれば、働いていても良き母親であることを示せるのではないかと思っていたからです。
さらに、本当は思い通りに動いてくれない子供にイライラしているのに、私は寛大な母親なので(笑)イライラしていません、怒っていません、と涼しい顔をして、その感情を隠し続けていました。
全くの不一致だったといえます。
感情を感じられなかったわけ
結果、当時の私は、心の中にイライラの感情を溜め込み続けていました。
どんなに涼しい顔をして優しそうな言葉を使って息子を諭しても、その裏には、イライラの感情が隠されているのです。
息子が思うように動いてくれるはずもありません。
私がそのように感情を溜め込むようになった理由の一つは、母との関係性にありました。
私の母は、私を出産した直後に病気になり、私が中学に入る頃まで入退院を繰り返していました。
物心ついた頃から、母の病状が悪化すると数ヶ月入院するということがよくありました。
そんな中、幼い私は、母がまた入院してしまうのではないかといつも不安を抱えていたのです。
でも周囲に心配をかけないように、その不安や寂しさを口にすることはできませんでした。
私がさらに感情を表に出せなくなった、ある出来事を思い出します。
幼稚園生の頃、母が一時退院で家に戻ってきた日に、私は嬉しくて母に駆け寄って抱きつきました。
それを見た伯母が「やっぱりママがいいのね」と言ったのです。
私の実家では、私の家族と親戚家族が同じビルの別階に住んでいました。
なので母の入院中は、父と共に、伯父伯母やひと回り上の従兄姉たちが、家族のように幼い私の面倒を見てくれていました。
伯母はもちろんそんなつもりはなかったのでしょうが、私には「私がこんなに可愛がってあげているのに…」という皮肉めいた言葉に感じられたのです。
そこで自分の感情を表に出してはいけない、と感じてしまったのです。
そしてその後も、自分の本当の感情はできるだけ隠して、人に見せないようにするのが癖になりました。
取り残された感情
手始めに、子供時代の自分が感じていたであろう感情を感じ直してみることにしました。
私には、今もよく思い出す、あるシーンがあります。
母が夜中に発作を起こして倒れた夜のことです。
幼い私は、すぐに高校生の兄の部屋に連れて行かれました。
私は眠りにつくまで怖くて仕方がなくて、そして翌朝起きると、母は入院していたのです。
その時の感情を感じてみました。
このまま母が死んでしまうのではないかという怖れ、押しつぶされそうな不安。
翌朝、母がまた入院してしまって、しばらく家に戻れなくなってしまったことを知った時の寂しさ。
その後、母が退院するまでの長い日々。
父も兄も、親戚たちも心配してくれるからこそ、私は自分の感情を口に出してはいけないと寂しさも我慢していたこと。
当時の様々な感情が溢れてきました。
蓋をしてきた思い
母の入院中は特に、父や周囲の人たちを心配させないように、自分はみんなの愛情に満たされているから平気、という風を装っていました。
本当は「ママに会いたい」と泣きたかったし、「ママがいなくて寂しい」と言いたかったのですが、その気持ちを押し殺していました。
それ以降、心が揺さぶられるような出来事が起きても、表面ではポーカーフェイスを装って、平気なふりをすることに慣れてしまっていました。
中学生の頃、父が脳卒中で倒れた時も、このまま死んでしまうのではないかと恐ろしくて泣き出しそうだったのですが、人前ではその感情を出してはいけないと我慢しました。
後日ある人から「お父さんがいつもあんなに可愛がっているのに、優香ちゃんは冷たいね」と言われて傷ついたこともありました。
私はそれ程、自分の感情を閉じ込めて隠すことに慣れてしまっていたのです。
ものすごい量の感情が解消されることなく、自分の中にたまっていました。
感情に向き合う
子供時代に感じ切れなかった感情に向き合っていくと、感情が波立つことも悪くはないと、思えるようになりました。
過去の同じシーンを何度も思い出すということは、解消しきれなかった感情が残っているというアラートです。
そのメカニズムがわかると、同じ出来事を思い出す度に、その時、感じ損ねていた感情に向き合うことができるようになりました。
父が倒れた日、病院の廊下でいたたまれなかった時の感情も感じてみました。
そして感情に向き合っていくと、同じシーンを思い出す頻度も減ってきました。
感情が解消されてきた結果だと思います。
感情を感じてもよい
感情を否定せずに受け入れて感じられるようになると、私の中で、大きな滞りになっていた「感情を表に出してはいけない」という固定観念も緩んできました。
感情が波立つこと自体は”悪”ではなく、それを押し込める方が弊害が多いこともわかってきました。
感情が出てきたら、ただ感じていけばよいのです。
日々、感情を波立てず平常心でいなければと修行僧のように過ごしていた頃に比べると、だいぶ肩の力が抜けて楽になりました。
感情を感じることは、感情を人にぶつけて迷惑をかけるわけでもなく、実は自分でできる、とてもお手軽な方法だと思えるようになり、感情に向き合うことへの抵抗も減ってきました。
まとめ
幼児期の体験から、私は長らく自分の素直な感情を表現してはいけないと思い込んでいました。
さらに、自分の中に感情が湧きあがってくることは、自分が未熟な証拠なので、常に感情を揺らしてはいけないと、ずっと否定し続けてきました。
自分の一部である感情、つまり自分自身を、私は長らく否定し続けていたのです。
しかしその固定観念に気づき、感情のとらえ方を変えることで、だいぶ自分の心に向き合えるようになってきました。
その結果、ありのままの自分を受け入れる、自己肯定感も上がってきていると感じています。
皆さんの中にも、イライラやモヤモヤは”悪”だと考えて、それを感じないようにしよう、押し込めようと思っている方はいらっしゃいませんか?
そうした方には、まずはご自身の気持ちをありのまま受け止めてあげることをおすすめします。
感情をコントロールしようとするよりも、感情の取り扱いがはるかに楽になると思いますよ。
ビジネスコンサルタントとして仕事をする傍ら、社内外での人間関係、夫や子供との関係をもっと円滑にしたいと感情カウンセリングを学ぶ。その中で、自分が不安ベースで生きてきたことに気づき、これまで見ないできた感情を感じるようになると仕事&家族関係も好転し、がんばらなくても生きやすくなったという実感を持つ。
現在は、感情カウンセリングを提供すると共に、職場のワーキングファミリーコミュニティで「子育てにおける感情の取扱説明書」セミナーを継続開催するなど、感情カウンセリングの良さを伝えることも積極的に行っている。