仕事で相手に込み上げてくる怒りを開放すると、やりたくない事が減ってくる。
この記事の目次
打ち合わせでの提案に対する相手の反応に怒りが湧き上がる
私は平日はシステムエンジニア、週末は農業をしています。
両極端な二足のわらじは面白いですね♪
最近はあるプロジェクトのサポート要員として作業をしていました。
参画したばかりで今回のプロジェクトの詳細な仕様が分からないため、まずは管理作業を担当する予定でした。
その日は管理作業の詳細説明をチームリーダーから受けることになり、「どんな内容なのだろう?」とちょっと緊張しつつも楽しみに打ち合わせルームで待っていました。
しばらくするとリーダーが打ち合わせルームに来て、資料をプロジェクターに映して説明が始まりました。
まずはプロジェクトの概要について話があり、その後に現状はどのような状況か説明がありました。
少し聞いた時点で「これはなかなか大変なプロジェクトだぞ、、」と感じる状況でした。
何が大変なのかと言うと、スケジュールよりも大幅にプログラム開発が遅れているのです。
サポート要員として参画したのである程度のトラブル状況は予想はしていましたが、それを上回る感じでしたね。
ソフトウェア業界ではよくある話かもしれませんが、「そこに呼ばれた俺、、」
今後がどうなるのか不安で一杯です、、
プログラム開発の納期は数カ月後なのですが、進捗が全然上がっておらず、大幅に増員して挽回する計画を立てているようでした。
さらに、作成したプログラムのテストで発生した不具合の修正や状況管理にも手が回っていないようでした。
管理業務にも手が回っていない状況ですね。
私は今までの経緯や状況を全く知らない状態で参画したので、リーダーの説明する話の行間をよみながらイメージして聞いていました。
現在どのような資料があり、誰が作成し、どのように管理、運用されているのか。
また、現状の問題はどこにあるのか。
様々な可能性を考えながら聞くのは骨が折れます。
でも、徐々に全体像が把握できてきて、とりあえず私の作業としてはプログラムの不具合件数を集計して原因とともに報告用の資料をまとめることなのだと理解しました。
さらに話を聞いていると、不具合は1件毎に単票で管理されており、それを台帳化して集計する必要があるようでした。
そして、集計結果を推移表にして不具合の消化率や今後の見込みを推測した報告資料を作成することになりました。
私が来た時点で、すでに不具合が発生しており、その対応を行っているとのことだったので、「現状でも何か管理している資料があるのだろう。」と思い、それを活用して集計したほうが効率的で精度が高いように思いました。
その旨をリーダーに伝えたところ「作業をやりたくないんやなぁ。」という反応が返ってきました。
私としてはとても意外な反応で、相手の怒りの感情をもろに受けてしまい、こちらも反応的に怒りが「どわっ!!」っと出てきました。
説明の理解にかなり意識を使っていたので、相手の感情には無防備な状態でしたね。
そして、とっさに「そんな事はないですよ!!」と強い口調で返してしまいました。
怒りを怒りで返してしまった状態です。
ただ、そのままでは話が進まないので、、感情を感じつつ気を取り直して、この人が何を言いたいのか考えてみました。
こちらの認識としては効率的と思う作業の提案しただけなので、「そのやり方はこういう理由で良くない。」と言われるなら分かるのですが、「作業をやりたくないやなぁ。」と言われると全く意図が理解できませんでした。
頭の中が疑問符だらけな状態だったので、とりあえずこちらの提案の意図を説明して理解してもらうことにしました。
怒りの反応がある中で、できる限り丁寧さを意識して説明したのですが、こちらの意図が全く通じない様子でした。
何度かこちらから説明を繰り返したのですが、話は平行線のままでした。
そのうち相手の感情が落ち着いてきたのか、「双方の勘違いがあったんやな。」と理解を示してくれました。
本当に認識違いだと理解したのかは微妙でしたが、そのつっこみは止めて話を進めました。
怠けている奴と思われたことへの怒り
作業の説明時にプロジェクトのリーダーから怒りまじりで想定外の事を言われ、反応的に怒りが湧き上がってきました。
考える間もなく、無意識に相手の怒りに対して自分の怒りが反応したのが分かりました。
無防備な状態だと特にこの反応が起きやすいように思います。
また、こちらが「やる気のない奴」、「怠けもの」と思われた気がして、「ふざけるな!!」という思いが出て、とっさに怒りが反応して出てしまいました。
最初に怒りが出た後もどんどんと怒りが込み上げてきて、抑える間もないような勢いでした。
自分でコントロールが効きにくく、胸から頭のてっぺんまでが「カーっ!!」と熱くなっていくのが分かりました。
身体の震えが出るほどではなかったですが、かなりヒートアップしてしまいましたね。
ただ、そう思えているだけ、まだ冷静なのかもしれません。
相手の怒りが自分の中に蓄積している怒りの感情に反応して、一気に火が付いた感じがして、「こうやって感情的なコミュニケーションをしてしまうのだな。」と改めて理解しました。
否定されるのが嫌
今回のことを思い返してみると、自分が怠け者と否定されて、ダメな人間だと言われた感じがして、怒りが反応してしまったように思います。
しかも、今回はより良い提案をしたつもりが、怠けもの扱いされた感じがしたので、余計に怒りが反応したように感じます。
そういえば、昔から間違いやミスを指摘されると瞬間的にムカっとしていたのを思い出しました。
間違ってはダメ、ミスしたらダメ。
そんな思いが心の奥にあるように思います。
また、小さい頃から学習塾のテキストをさせられていましたのを思い出しました。
特にやりたいわけではなかったのですが、親がやれというからやっていました。
もちろん、学校の宿題もあるので、両方が終わらなければ遊びに行けないのが暗黙のルールになっていました。
親も私に良かれと思ってやっていると感じていたので、子供ながらに親の思いを察して従っていました。
親の気持ちを察する感度が高ければ高いほど、親に合わせてしまうんだなと感じます。
正直、宿題も学習塾のテキストも「めんどくさいし、やりたくない。全然楽しくない。」と思っていました。
でも、親に反発する勇気もなく毎日まじめに勉強をやっていましたね。
ほとんど親に逆らうような言動はしなかったように思います。
それだけ自分を抑圧していたのでしょうね。
自分には優しくない幼少期だったと今更ながら思います。
そう思うと、なんだか小学生の頃の自分が少し可愛そうになってきました。
自分が選択しているので仕方がないのですが、「もっと自由に生きたかった。」
そんな思いが出てきました。
やりたくない思いを抑えて勉強していたので、もちろん勉強は嫌いになっていきました。(笑)
そりゃそうですよね。
「勉強って、なんてつまらないんだろう。」といつも思っていました。
親が良かれと思っていても、子供の受け取り方で随分と影響が変わるんだなと感じます。
突っ込まれたときの怒りを感じる。
その場はそれなりに収めましたが表面的に対応しただけなので、家に帰ってから「作業をやりたくないんやなぁ。」と言われた時の怒りを感じることにしました。
まだまだその場では感じれていない怒りが胸の奥からマグマのようにふつふつと込み上げてきて、「何、訳のわからないことを言ってるんだ!!ちゃんと俺の言葉を聞けよ!!」などと思いながらその時の怒りを感じていきました。
相手を前にしている時は理性が働いて怒りを感じる度合いも抑えてしまうように思います。
部屋で一人の時はその抑圧もなく怒りを感じることができ、安心できる空間の大切さを感じます。
怒りを感じていると少し怖くなってきましたが、できるだけ感じることを抑えないように意識しながらしつこく感じ続けていきました。
ゆっくりとした呼吸で感じ続けているとやりやすく、徐々に湧き上がる怒りが減ってきました。
最初は止めどなく怒りが溢れ出てくるのではないかと思っていましたが、限りはあるようです。
これはよい兆しと思い、更に感じることを続けていきました。
30分ほどすると随分落ち着いてきて、怒りの感情も軽くなっていきました。
その後、胸の奥から怒りが出なくなるまで感じていき、終了しました。
「やりたくない。」思いを承認できていなかった。
感情を感じることを終えてから今回のことを振り返ってみました。
そう言えば、リーダーから「作業をやりたくないんやなぁ。」と言われて、ドキっ!!としていました。
それは実際に作業をやりたくなかったからです。
トラブルプロジェクトでの作業はタイトでしんどい事が多いので、正直とても嫌でした。
今回はそれを見透かされたような気がしていました。
やりたくはないけど仕事なので指示があればもちろんやります。
でも、心の奥にある思いを突っ込まれたような気がして過剰に反応して怒りが込み上げてきたように思います。
言われた事が図星だととても傷つきますからね、、
何も言い返せません。
でも、「やりたくない。」という思いを自分が承認できていればそこまで反応することがかなったように思います。
承認できていなかったので、その事を人から言われて怒りで返してしまったのでしょう。
また、相手の期待に応えないといけないという思いもあり、それが強いのかもしれないと感じました。
たまには指示された作業が、うまくできないこともあります。
でも、「言われた事はきちんとやりきるべき!!」と思っているです。
だから、「やりたくないんやなぁ。」と言われて、反応的に怒りが出たのかもしれません。
やる気がないのに、「やる気がありますよ!!」と思われたいようですね、、
相手の評価を気にしているのだと思います。
その立ち位置だと自分らしさが抑圧され、相手に合わせる生き方になるので、他人の評価を気にすることは減らしていきたいと思いました。
警戒心やコミュニケーションでの怖れが減る
怒りの感情を感じてクリアリングしていくことで、感覚的には相手の言動を気にしていたストレスが減り、警戒心がゆるくなったように思います。
「まぁ、色々と突っ込まれても仕方がないか。」というある種の諦めのような感覚が出てきて、人を受け入れやすくなったように感じます。
また、「そこまで無理に頑張らくてもいいかな。」という感覚も増したように思います。
それにより日々のストレスも減り、以前よりも毎日が生きやすくなりました。
「頑張って自分を良く見せないくてもいいんだ。」という感覚が少し馴染んだような気がして、より楽に人生を生きれる気がしてきました。
人に対してフラットに話やすくなる
後から振り返ってみると、どうやら相手は私の提示したやり方を「別の人にお願いする案」と思ったのかもしれないと感じました。
こちらはその意図は全くなかったので、打ち合わせのときにはその可能性を思いつくことは出来ませんでしたが、感情が落ち着くと色々と気がつくものですね。
「人とのコミュニケーションは難しいな。」と思いつつ、感情の影響で双方が理解し合えない状況は減らしたいと思いました。
また、やりたくない思いや他人の評価を気にしていると気づきがあり、相手の言動に反応しにくくなりました。
今までは「傷つくことを言われたどうしよう、、」とどこかで怯えていた気がします。
このような思いは多かれ少なかれ誰にでもあるのかもしれませんが、それが少し減るだけでも精神的な安心感が随分と上がるんだなと感じました。
結果的に相手の意見を素直に聞きやすくなり、無理なことは無理と言いやすくなりました。
まとめ
今回の感情の旅では相手の言動に対して怒りが出てきて、それを感じてクリアリングすることで、その奥にあるネガティブな思いがいくつか出てきました。
このころから、「感情は分かりやすく自分に気づきを与えてくれている。」気がします。
感情は知覚しやすいので、それが厄介で迷惑だと思っていましたが、自分の囚われや心の傷に気づくにはとても有効なツールとも言えそうです。
「嫌なヤツ。」と思っている事象や人ほど、自分にとって必要なものなのかもしれません。
今後は「嫌だな、、」と思ったら少し冷静になって俯瞰してみたいと思います。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。