資料のレビューで言ってしまった反応的な嘘の原因と対処方法
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反応的に嘘を言って誤魔化してしまう
私はシステムエンジニアをしています。
仕事内容は企業内で使用するソフトウェアの設計です。
ある日の夕方、2019年の夏にカットオーバーを予定しているプロジェクトの社内レビューがありました。
レビューの内容は現行システムから新システムへのデータ移行方式と、それに関連する作業計画についてでした。
会議室に10名ほど関係者が集まり、少し重苦しい感じがしました。
部屋の電気を消してブラインドも閉め、薄暗い中で資料をプロジェクターに映しました。
関係者に簡単に挨拶をした後、自分の考えたデータ移行の方式を説明し始めましたが、特に周りの反応はなく、良いのか悪いのか気になりながらも淡々と説明を続けました。
「このままレビューが終わるのかな?」と思った矢先、関係者から質問がありました。
その質問とは「そのデータ移行案はどこまで実現性のあるやり方なのか?」という内容でした。
実現性はほぼ問題ない事を確認していましたが、改めて「実現可能か?」と聞かれると、大丈夫と言い切れる自信がありませんでした。
それは細部の確認作業を完全には行っていなかったからです。
でも、反応的に「問題ありません。」と回答をしてしまいました。
質問した人は一方的に人を批判したりするタイプではなく、割とフラットに相手の意見を聞く感じの人でした。
後で思い返すと、少し気になったから念の為に質問した程度のように思います。
それなのに、どうして自分にとって都合の良い回答をしてしまったのか無性に気になりました。
痛いところを突かれて傷つきたくない思い
レビューが終わった後、自分の席に戻ってからさっきの自分の回答が気になり振り返ってみました。「なぜ、あのような事を言ってしまったのだろう?」そんな事を自分の心に聴いてみました。
何度か同じ質問を自分自身にしていると、レビュー時の質問を素直に受け入れられていない自分がいました。
相手の質問に対して、自分の確認不足という痛いところをい突かれたと感じてしまい、内心腹が立っていました。
「その質問は今、重要じゃないだろう。重箱の隅をつつくような細かいところを突っ込むなよ!!」と怒っていました。
データ移行方式の実現性はほぼ問題はないのですが、相手の質問内容は重要でないは言えません。むしろ、確実に仕事を勧める上では大事なことだと思います。
ただ、そうと分かっていても反応として怒りは出てきてしまいます。
さらに深く内観しててみると、質問によって自分が傷つくのをとても怖れていました。
それを隠すようにに怒りが出てきた感じです。
今回出た反応を例えるなら、歯の治療で予想外の虫歯に刺激を与えられた時のような、突き刺さる痛みに似た感覚と恐怖がありました。
「ちょっとでも触れられると痛い、やめてほしい。」という感じです。
そこには「ひどく怯えている弱々しい自分」がいました。
そして、その自分はとても受け入れがたいものでした。
周りやルールに合わせる生き方
過去を振り返ってみると、今までも自分の傷に触れられないよう無意識にごまかしてきたことが多々ありました。
そして、傷つかないように、自分が悪く見られないように、ミスしないように生きてきたように思います。
具体的には嘘をついたり、事実を認めなかったり、話をすり替えたりして自分の体裁を整える感じです。周りの人からしたら迷惑な話ですね。
よくやってしまうのが「話しかけるな!!」という雰囲気を出して相手に物を言わせない方法です。
システムエンジニアの仕事で多忙な時は特によくやっていましたね。
標準スタンスだったのかもしれませんが、、
他にも突っ込まれないように「何も言わない。」「自分から行動しない。」という行動もよくしていました。
目立ったアクションをしなければ指摘される事が減ります。
だから、言いたくても言わない事もありました。
この方法は小学生から高校生までは特によくやっていたように思います。
学校は規則、ルールが全て正しいという世界ですから、傷つかないようにするためには周りやルールに合わせて生きるのは仕方がなかったのかもしれません。
そういえば、小学生の頃から人とコミュニケーションをする際に、傷つくことへの不安や怖れを抱えていたのを思い出しました。
そして、常に傷つくのを避けるよう警戒しながら行動していたように思います。
自分を出さないことで楽しさは減りますが、傷つくよりはマシという選択を無意識に行っていました。
子供の頃に感じていた不安と怖れの解消
「なぜ、傷つかないように自分を良く見せようとしてしまうのだろう?」
何度も心の中でそうつぶやきながら、自分の心に問い続けました。
すると、小学生の頃のある体験を思い出しました。
それは小学生の事のある夏の日の記憶でした。
じっとしているだけで汗が出てくる蒸し暑い日でした。
その日は天気がよく、青空と入道雲がくっきりと見えていました。
近所の友達と遊ぶために朝から出かけて、友達の家のチャイムを鳴らしました。
しばらくすると、友達の母親が出てきて「別の子と遊びに出かけてたので、今はいない。」と伝えられました。
少し淋しい気持ちになりましたが、気を取り直して別の友達の家に向かいました。
同じようにチャイムを鳴らしましたが、誰も出ません。
何度かチャイムを鳴らしましたが結果は変わらず、諦めました。
だんだんと淋しさが変化して「次の友達も家にいないかも?」という不安が強く出てきました。
なんだか自分だけ取り残された気分になり、「自分は誰からも相手にされないのではないか?」という不安と怖れを強く感じていたのを思い出しました。
その時の思いを感じるために胸の辺りに意識を向けてみると、ぼやっとした塊のようなものが知覚できました。
それは楕円形で、黒く硬いつるつるした石のような質感でした。
その塊を包み込むようにじっくり丁寧に感じていきました。
最初は感じにくく、表面の殻に触れている程度の感覚でした。
感情的にはさほど変化はなく、じわ~っと出てくる不安をただ感じていました。
10分ほど感じ続けていると黒く硬い塊が、どろっとしたゼリーのように変化しました。
さらに感じていると、霧が晴れるようにそのゼリーが消えてなくなり、中から赤い玉が出てきました。
その玉はビー玉くらいの大きさで、その中にはローソクの炎のような模様がありました。
それをさらに感じていくと、徐々に黒くなって消えていきました。
自分には価値がないのでは?という思い
今回思い出したのは、遊びに行った友達が留守で淋しかったという小学生の頃の記憶でした。
でも、それが自分の元から人が去っていき、一人取り残されてしまうような不安や怖れに繋がっていました。
毎回その友達が留守な訳ではないのですが、そう感じていました。
思い返せば、約束なしにふらっと友達の家に遊びに行くのはとてもストレスになっていました。
「もし、留守だったらどうしよう?」
「用事があると断られたらどうしよう?」
そんなことばかり思いながら、どこか嫌々友達の家に向かっていしました。
さらに深い部分では、「ここに存在してはいけない」ような感覚や不安があり、「自分には存在する価値がなく、必要ない存在なのではないか?」という思いがありました。
そして、その不安をいつも抱えながら過ごしていたのだと気づきました。
その不安を常に感じていると辛いので、感じないようにして生きてきたのだと思います。
それが積もり積もって、今の自分を受け入れられない原因の1つになっていると感じました。
今回気づいた原因は大きなテーマですが、自分らしさに一歩近づいた感覚があり、嬉しかったです。
自分を表現してもよい感覚
この体験の後、心のもやが晴れてスッキリ浄化されたしたように感じました。
窓から見えるいつも見ている海岸の風景もどこかはっきりと知覚できて、視力が上がったのかな?と思うほどでした。
そして、自分が持っていた心のモヤモヤが少し軽くなった感覚がありました。
清々しさとともにリラックスしやすくなった気がします。
また「自分を表現してもよい。」という感覚が以前より増し、それによって「傷つく事もあるだろうけれど、それはそれで仕方がないか、自分がした事だから。」という良い意味での諦めのような感覚がありました。
相手の指摘を前向きに捉えることが増えた
普段の生活では日常的な不安が少し軽くなりました。
大げさに言うと、ビクビクして過ごす事が減り、いつもどこかで感じていたストレスが軽減された感じです。
結果的に、今の自分を表現しやすくなり、徐々にですが失敗しても「それも自分」と思えるようになってきました。
そうなると、人からの指摘も前向きに捉えやすくなります。
少しずつですが、相手や起きている現象が自分の改善点を伝えてくれていると考えられるようになってきました。
これを感覚に掴めたのは私にとっては大きな収穫でした。
全てを前向きに捉えられる訳ではありませんが、無理してそう思うのではなく自然と思えるようになってきたのが嬉しかったです。
まとめ
子供の頃は受け止めきれずに無視してしまっていた不安や怖れが、素直に事実を受け入れられない原因になっていました。
そして、小さな頃の些細な不安や怖れが、随分と今の自分に影響を与えているのだと改めて認識しました。
また、普段感じている不安や感情に目を向けることで、その根っこにある原因を知覚しやすくなり、今の自分をより自分らしくブラッシュアップしていける体験ができました。
今よりも自分らしくなると、普段のストレスが軽減されるので仕事での疲労感も減り、自分のためにそのエネルギーを使えると感じました。
不安や怖れなどの感情は「自分を振り回す厄介な奴」というイメージでしたが、うまく付き合えると自分の本音を理解し、改善するツールにもなるので「お得な奴」という見方もできると考え直すことがました。
感情というものを理解しクリアリングを行うだけで、随分と自分の世界が変わると思います。
日々、自分でコツコツと行うことができるので、日常的にストレスを感じている方には特にお薦めだと思います。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。