体調不良で遅刻した罪悪感を軽くする方法
その日は夜遅くまで仕事があり、家に帰ると夜中1時を過ぎていました。
かなり疲れが溜まっており、翌日いつも通りの時間に会社へ行くにはかなり辛い感じがしていました。
翌日は朝から打ち合わせなどの予定もなく、仕事のスケジュールもタイトではないため、その日は寝たいだけ寝て、朝起きた時点で出勤時間を考えることにしました。
こういう時、フレックス制だとありがたいですね。
ということで、その日はぐっすりと寝て、目覚めると朝8時でした。
前日の疲れ具合から考えると思ったより早く起きたと思いましたが、まだ寝たい感じではなかったので、会社に行く準備をしました。
そして、家を出る前に体調不良のため10時半に出勤する旨をメールで関係者に連絡しました。
会社に到着してから自分宛のメールを確認すると、私が体調不良で遅れる連絡が共有されていました。
そのメールを見た時に胸の辺りが「きゅ~っ」と苦しくなり、罪悪感が沸き上がってきました。
出勤時間をずらすのは会社の制度として問題はないし、仕事上の不都合もありません。
なのになぜ、こんなに罪悪感が出るのか気になりました。
この記事の目次
とても悪いことをしたという恐れと不安
そのときの感情や感覚に意識を向けてみると、なんだかとても悪いことをした感じがして胸の辺りが強く締め付けられるような感覚がありました。
誰かに心臓を軽くつままれているような感じです。
後悔の念と罪悪感、ヤバイことをしたという恐れが出てきて、さらに「会社の人から突っ込まれたらどうしよう、、」という不安が入り交じった感じがし、何とも言えないバツの悪い気分になりました。
また、「ダメだな俺、、」という感覚も出てきて、体調不良で出勤時間をずらした自分を責めている感じがしました。
さらに深く観てみると、体調不良になること自体を駄目なこととしているようでした。
「気合で出勤しろ!!」という昭和のスタイルを叩き込まれる
過去の会社員時代を思い返してみると、体調不良で仕事を休んだことがほとんどありませんでした。
大阪でシステムエンジニアをしていた時は11年間働いて体調不良で休んだのは1回だけでした。
休んだ時は朝起きると肩が重くて、そのまま起き上がれない状態でした。
とりあえず、ゴロンと転がってうつ伏せになり起き上がろうと試みましたが、背中を誰かに押さえつけられている感じで、立てませんでした。
「こんなこともあるんだ!?」と思いながら何度か起き上がろうとチャレンジをしましたが、無理でした。
仕方がないので、布団から手を伸ばして携帯電話をとり、上司に連絡しました。
その当時の感覚を思い返してみると、どこか会社に生きたくない気持ちが強くあったように感じます。
電話に出た上司は不機嫌そうな感じで、「なにぃ~!!体調不良くらいで休むだとぉ~!!」という印象がひしひしと伝わってくる対応で、電話越しに怒りのエネルギーを強く感じました。
当時の上司は仕事人間で、常に仕事を優先するタイプの人でした。
いつも不機嫌で怒ってばかりいるので、他の部下からも嫌われていました。
そのような人だと「私の体を心配するという発想にならないのかな、、」と寂しく思いました。
言葉にはしなかったですが、今にでも「仕事があるんだから体調不良くらいで休まずに、気合いで出勤しろ!!」と言い出しそうな感じさえしました。
今なら完全にパワハラですね。
ただ、当時はそんなタイプの人が割と多かったように思います。
会社のために自分の人生を全て捧げる。
「それがあるべきサラリーマンの姿だ!!」という昭和の文化もあったように思います。
会社の仕事が原因で疲れて起き上がれない状態なのに、上司からは「怠けるな!!」という対応をされている。
でも、そう言われた私は罪悪感を感じて自分が悪いように思ってしまいました。
このような状況の人は以外に多いのかもしれませんね。
そんなこともあり、「体調不良は悪!!」という観念が強化されていったように思います。
会社の仕事より自分を大切にすることを優先してみた
今回出てきた罪悪感を改善しようと思い、体調不良で遅れた連絡メールを見て、出てくる思いや感情を感じていきました。
メールを見たときの嫌な感覚に意識を向けて、体のどの部分にその思いがあるか探っていきました。
概ね感情は胸の辺りで知覚しやすいと思います。
胸の中心辺りから嫌な感覚のある場所を探っていくと、みぞおちの上あたりに「じと~っ」とした黒い感じとキューっと締め付けるような感覚がありました。
それをなんとなく捉えて感じていきました。
しばらく感じ続けていると嫌な感じが軽くなってきたので、少しずつ嫌な感覚の奥深くへ意識を突き進めてみました。
そうすると、大阪のシステムエンジニアの時に感じていた厳しい「上司で辛かった、悲しかった、逃げたかった、やめたかった。」という思いが「ぐちょっ!」と混ざって出てきました。
「いろんな思いがあったんだなぁ。」と思い返しながら、それらを全部まとめて感じていきました。
様々な感情をが入り乱れる感覚を出てくるままに感じ続けていると、「よく頑張っていたな、俺。」という感覚に変わっていきました。
そして、当時の自分にたいして、「お疲れ様。」と優しく伝えたい気持ちになりました。
当時は納期に間に合わせるために必死で仕事をしており、自分のことは全て後回しにしていました。
自分の体や気持ちを完全に無視して仕事をしていたときも多かったように思います。
「自分のことより仕事。自分のことより会社。」そんな価値観の中で生きていたように思います。
そう思うと少し昔の自分を承認できた感じがして、受け入れられた気がしました。
会社に自分の全てを捧げる感覚
当時は自分の感情を切って感じないようにしていたと思います。
それで、なんとか仕事をしていたように思います。
自分の代わりをする人はおらず、「自分でなんとかするしかない!!」と思っていました。
実際に中小企業では人も少なく、個人で仕事を背負い込むのが普通でした。
そんな訳で体調不良にもなれず会社を休むこともできず、必死に期限に間に合わせていました。
今思えば、相当なストレスだっと思います。
そういえば、納期前は何度か夜中に腹痛で起きていたのを思い出しました。
自分しか最終確認できる人がいないので、その重圧がストレスとなり、胃にダメージを与えたのだと思います。
そう思うと、ますます「体調不良は悪!!」となっていった感じがします。
自分の体を労るよりも、会社から与えられた責任を全うすることを優先していたので、いつも頑張って仕事をしている自分がセルフイメージになっていたように思います。
強制ではなく、やりたいから主体的に頑張るくらいが良い塩梅かもしれませんね。
会社員は会社に全てを捧げる訳ではないのですが、そのような認識になっていたように思います。
これは日本では割と多い価値観なのではないかと感じました。
体調不良でも仕方がないか、という感覚
感情のクリアリングをしたあとは普段の生活でも無理が少し減り、気持ちが軽くなった気がします。
より自然体の自分に近づけたイメージです。
「体調不良の時もあるよね。」と言いやすくなった感覚です。
また、胸の辺りがスッキリして余計なものが落ちた感じもしました。
無理して頑張ることが減った
現実面ではシステムエンジニアの仕事で無理して頑張ることが減りました。
体調不良になることもありますが、そう伝えやすくなり、余計なストレスが軽減しました。
「今はしんどいんだから仕方がないね。」という感じです。
また、週末の農作業でも無理しすぎることなく休憩を多めにとり、自分の体を労りやすくなりました。
種まきの時期は繁忙期で体に負担かかかりやすいですが、自分の体も気にしながらバランスしやすくなったと思います。
一時的に無理しても後でそのダメージがやってくるので、総合的に考えてマネジメントとするほうが、結果的に生産性が高いこともあると思えるようになりました。
より作業に対して客観性が上がったのは嬉しいです。
まとめ
仕事の体調不良から出てきた罪悪感ですが、その思いの原因は過去の出来事にありました。
そして、出てきた感情をクリアリングすることで、過去の出来事を思い出し、さらに隠れていた感情が出てきました。
それをクリアリングしていくことで、昔の自分と今の自分が一致してきました。
昔の自分では感じていなかった感情も今の自分の一部なんだと改めて認識し、過去の出来事を無視しないで捉え直すことの重要性を感じました。
「過去の自分を癒すことで、今の自分や未来の自分のためにプラスにできる!!」
そのために感情のクリアリングはとても有効かツールだと感じました。
今後もたかが感情と軽く扱わずに丁寧に見つめて解消していきたいと思います。
みなさんも普段の感情を見つめてみると、大きな気付きやギフトが得られるかもしれませんよ。
誰しも大人になって働き始めると責任や義務など「やるべき事」に追われて、上司や顧客の評価を求めてしまいます。
これは生きていくために有効かもしれませんが、自分をすり減らすことにもなります。
だから「毎日がつまらない。辛い。」と感じるようになっていくのでしょう。
そんな時に大事だと考えているのが、
「今の自分を大切にする。」在り方です。
子供の頃は好きなことを中心に生きていたはずなのに、誰しも大人になるとそれができなくなってしまうものです。
その主な要因として、
・小さな頃にやりたいことをさせてもらえなかった。などの「満たされなかった欲求」
・自由に遊んでいたら「うるさい。」と親に叱られた。というような「傷ついた経験」
などの「インナーチャイルド」が影響していると考えます。
子供の頃から自由に振る舞うことは、わがままや自分勝手で「ダメな事」として成長するのが一般的であるため、「素直な自分の感情や感覚を無意識に抑えてしまう。」のでしょう。
「辛くても、楽しくても、人生は一度きりのもの。」
周りの目や評価を気にしすぎないで、今から「自分らしく人生を楽しむメンタリティ」を一歩ずつ養っていきませんか。
気軽に心のもやもやを話すことで、少し心がすっきりして
「これからの人生を楽しもう!」という気持ちに近づけると思いますよ。